10月
10月31日(木)
デビルマン的主題
「なるたる」が終わった。
実は先々月の回を見逃してるので須藤君の最後がわからない、だから
正確な書評を書くのは単行本がでてからにしたいけど、ひとまずの最終回の感想はがっかりという気分の方が大きい
それは作品の出来以前に俺が滅亡オチが嫌いだからだ。
滅亡オチって辻褄が合ってるように見える分夢オチより立ちが悪いと思う。
結局デビルマンの重力は強かったってことかなぁ。もう30年近くたつのに、いい加減デビルマンから卒業しようよ!と漫画家諸君に訴えたくなる。
正義の味方がその強大な力ゆえ、守ったはずの民衆から嫉妬と恐怖をかい敵視されその最愛のモノを奪われる。
最愛のモノを失った世界に未練はあるか?いやない!死ね!こんな腐った世界滅んでしまえ!
まったくこういう発想が出来ないから、簡単の世界を滅ぼせないからみんな苦労してるんじゃないか、そんなに何度もやり直したりできたら苦労しないよ、と思ってしまう。
しかも「なるたる」の場合それが唐突すぎる気がする。
(もしかしたら見逃した回に伏線があるのかもしれないが)
最愛のモノが奪われた時でも主人公はその人類の愚かさ、弱さを許すべきじゃなかったのだろうか?もしくはその愚を行なった人間だけを裁く、自分達の側の住民については決め細やかに描くのに、外の人間は群でとらえてる。
風の谷のナウシカの漫画版のラストでトルメキアノ国王が娘のクシャナに「一人も殺すな、殺すとキリがない」って言うんだけど、あれは自分の命が狙われるのが前提の台詞なんだよなぁと今は思う、そう考えた時の二ヒリズムの深さとそれでも、全部滅ぼしちまえっていう発想にいかずに、何とか踏みとどまろうという強さ、結局デビルマンのラストの主題を超えられたのはこれだけかなぁと思う
(寄生獣はその問題には踏み込まなかった、ベルセルクは模索中という感じだ。幽遊白書はかつて人類に絶望した仙水忍を敵として設置することでデビルマン的主題と向き合おうとした。)
「なるたる」に自分が魅力を感じてたのは、少年少女のイノセンスの狂気に対してのスタンスが不安定で、どっちに転ぶかわからない危うさを感じていたからだ。時々見える魂がどうこうみたいな、オカルテックな部分も伏線でいつかはそれを乗り越えてうまく着地してくれる、そう思ったけど。
続きは単行本が出てから考察しよう。
その頃にはもうちょっと冷静に考察できると思うから
10月27日(月)
キル・ビルを見た
見てる間はこの間違った日本観が天然なのか確信犯なのか判断に苦しんでたんだけど(まぁどっちでも面白いんだけど)、パンフレットを読んだら確信犯だったみたいで安心というかガックリというか、なんか外国人がどういう日本をカッコよく思ってるのかがよくわかる作品だった。(いや?これはタランティーノの歪んだ趣味の反映では?)
総合的な感想は、「映画ってテーマとリアリティとつまらない辻褄合わせを捨てるとこんなに面白くなるんだなぁ」と思った。正直タランティーノの映画って映画として面白いと思ったことはほとんどなくて、それは単に構成力とか演出力が低いってことなんだけど(いわゆる教科書的な意味で、会話シーンとかカメラワークが単調で眠くなる、アンドリュー・ニコルやデビット。フィンチャーと較べるとどうしてもイマイチ)それを補う会話のセンスや暴力描写、音楽センス、キャラクター造形力があるなと思った。
多分、脚本の状態が一番面白いんだと思う。
(その意味でナチュラルボーンキラーズとかテゥルーロマンスの方が好きだったりする)
でもこの作品に関しては本人が監督だったのが良かったと思う。しかしこんだけ見せ場ばっかりの映画もすごいな、緩急って発想がない、この辺「仁義なき戦い」に似ている
それにしても二部構成でよかったなぁと思う。一部の時点でもう胃がもたれる感じ、これがあと一時間あったらと思うと・・・・
実はこの映画を見に行った目的は栗山千明が目当て
いやぁ良かった良かった、一時期日本のドラマや映画にまったく出なくなったから(多分R−17のドラマが最後だと思う)引退したんじゃないかと心配していたのだが(なんかはかないイメージがあったし)そんなタマじゃなかったな、強い強い。何かすごく良い位置に行ったなぁと思う。
日本で普通のドラマをやるには突出しすぎてる、美人過ぎるというのは時にフリークスと同じ扱いだもんな。
ホラー映画にアイドルが集まっちゃう状況もこれと同じだと思う。「富江」シリーズなんか、栗山千明でやったら洒落になんないと思う。
あんな子が同じクラスにいたらおかしくなるよなぁ。
まぁインタビューとか読むと結構普通の人で少し残念なんだけど。GOGO夕張だもんなぁ、そんな名前の人間をそのまま演じられる人間ってスゴイなぁ。GOGO夕張、主役で別の話が見たい。
追記、それにしても映画秘宝読者のために作ったような映画だなぁ
10月20日(月)
まぁいろいろと
末子長男姉三人
今期のドラマでは実は一番楽しい。
深津絵里がかわいいなぁ30歳だけど、あとはぶっさんこと岡田准一がかっこいい、この人は「カッコイイ」から逃げてないなぁと思う。
カッコイイ人ってカッコイイ自分以外の俺も見てほしいとか言って無駄な個性を追加しちゃうじゃない、自然体とかお笑いとか狂気とか、精神世界とか(今期だと恋文の渡部篤郎の演技が邪魔でしょうがないケーブルテレビでストーカー逃げきれぬ愛が放送されてるんだけど、こっちの方が無理せず狂ってていい)
その中で(もしかしたら今の若手俳優で唯一)岡田准一はカッコイイ自分をちゃんと見せている。日々カッコイイを磨いてるというか、だからバラエティとか歌になると埋もれちゃうんだけど、そんなトコでがんばんないでいいからこれからも、カッコイイを死守してほしい。
で、ドラマの内容なんだけど、この二人が結婚して岡田君の方の家族と同居するんだけど、普通のホームドラマなら嫁姑の対立とか三人のお姉さんと深津絵里ことはるちゃんが対立みたいな方に生きがちなんだけど、微妙にズラしてある。
ドラマはたいてい(といっても2話しか放送してないが)出戻ってきた姉三人が勝手なこと
をやり三人がケンカしてはるちゃんがオロオロして呑気に岡田君が見てるって構造。はるちゃんは本人はオドオドしてるけど、みんなからはかわいい嫁さんだと思われている。
ただそれが2話で30歳だということがバレて(別に隠してたわけではないが)今後どうなるか?ってのが今の状態、ちなみに母親はまっさん(さだまさし)のコンサートの追っかけで留守中、要所要所で関白宣言が流れるけど、岡田君が全然その歌の影響を受けてなくて呑気なトコがいいなぁ。
トリック1話
まぁ問題なし、前回のギャグばっかの展開に食傷気味だった身にしてみれば、ほどよいシリアスさ(ガッチュイシマッチュはどうかと思ったけど)がいい。
やっぱり堤さんは根本的に暗い作品の方がいいと思う
マンハッタンラブストーリー
赤羽さんが恋したことで豹変したのがよかった。やっぱああいうちょっとバカなキャラの方が宮籐さんの作品では生きる。このギャップを出すために1話はああいうキャラだったのならおみそれしました。という感じだ。
あと、構造がわかったおかげで(つまり喫茶マンハッタンのマスターが人間模様に勝手に悩んで後半の顔を見せない説得で恋愛のキューピットになる、但しとんちんかんな行動もしたりするって感じ、木更津キャッツアイのうっちーの位置にマスターがいるというかとか)今回は見易い。
多分毎回カップルが出て次の回でそのカップルの片方が別の異性と騒動があって、またそのカップルの片割れが別の異性とくっついて、って感じの片思いのリレー形式で最後に一周するんじゃないだろうか?本当はもっと底辺の人間を描写してほしい気もするけど、今回はこれでいいや。
戸梶圭太「燃えよ刑務所」を読んだ。
で、これはその底辺の安い人の話。
戸梶圭太作品を評するなら、アイデア120点お笑い100点キャラクター100点ストーリー構成力0点
って感じ、これで構成力があれば直木賞が取れるし、もっと観念的になれば舞城王太郎みたいにちやほやされるのになぁと思う。
でもそんなの関係ないんだよなぁ。この人にとって、多分既存の評価なんかしったこっちゃないんだろうと思う。
「燃えよ刑務所」もまず刑務所民営化って発想がすばらしい。前半はそれをどう実現していくか?という話。村上龍や石田衣良ならものすごく説得力があるんだろうなぁ。
後半はその刑務所の運営の話。これもいつもの戸梶節でしっちゃかめっちゃか。
今作品で面白かったのは、犯罪者のデーターを羅列する所、安い犯罪で出たり入ったり、訴えたり、笑いが止まんなかった。あと、ある幼女殺人犯の内面が描写されるんだけど、それがすごくよかった。
小川勝巳「僕らはみんな閉じている」を読んだ。
これは短編集で戸梶圭太さんに較べると構成力があるのか?読後にしっかりしたイメージが残る。それはある種後味の悪いゴツゴツとしたものなんだけど、あの感じを味わいたくて、つい読んでしまう。表題作は落とし方が唐突な気がしたけど、他の作品は良かった。特に「乳房男」が素晴らしいブラボーって感じだ。あえて弱点を言うと登場人物が簡単にあっち側にいっちゃう時があって、そういう時少し醒める。
この人は一見イッちゃってる人を書いているようでいて、もっと普遍的なトコに繋がってる人だと思う。だから狂ったキャラばっかで楽しいみたいな評価はあんま好きじゃない。
もっと痛いんだよ、この人の作品は。
10月11日(金)
マンハッタンラブストーリー第一話
う〜ん、悪口いうほど酷くないけど、突出してスゴイかというと、そうでもない、失礼な言い方かもしれないけど、つなぎって気がする。
内容としては喫茶店マンハッタンに来る客とマスターとの人間模様で無口なマスターがモノローグで延々と愚痴言ったり突っ込んだりしてるのが面白かった。
泉晴記さんだったかな?ハードボイルドな男が電車の中で幕の内弁当の食べ方に延々と悩むマンガがあったんだけど、アレを思い出した。
あの周りが勝手に動いてマスターがぼやき続けるって手法は結構スゴイと思うけど、その手法に加えて片思いが連鎖して何一つまとまらないみたいになるのかな?ただ手法の面白さが前面に出て肝心のストーリーが弱くなるのはマズイかも?って気がする。STAND UPの時も思ったけど、こういうマンガみたいな演出をする作品は裏にシャレにならないくらい殺伐としたものがないと、生きない気がする、それがないと本当に薄っぺらくなってしまう。マンハッタンストーリーにはまだその殺伐とした部分が見えない、もしかしたら存在しないのかもしれないけど。
あと小泉今日子がイマイチだったかなぁ、宮籐さんのドラマみたいな演出って相性が悪いのではないか?と思った。その点酒井若菜とか森下愛子、松尾スズキはイキイキしてる。まぁ次に期待ってトコだろうか。
今の宮籐さんの立場と舞城王太郎さんの立場ってスゴイ似てるなぁと思う。周りの過剰な期待(70年代生まれの)が出来上がってて、そこからはみ出そうとデタラメなことするんだけど、いやぁ若くて素晴らしいとか言われて褒められて、又外そうとしてっていうイタチごっこになってて、どんどん直球の球が投げられない状況に追い込まれそうで不安、もうちょいほっといてあげなよ、簡単に賞とかあげんなよ、ってつい思ってしまう。ある意味、今が一番つらいんだろうなぁと思う。二人とも
基本的に作品は観続けるけど、過剰な期待はしないでおこうと思う。
それとは別に用語辞典は完成させなきゃと思うんだけど、木更津キャッツアイの映画も始まるし。
宮台真司さんがダヴィンチの連載でドラゴンヘッドの映画についてとりあげてて、何でマンガだと絶叫して失なわれなかったリアリティが映画で同じことをやると失われるのかって分析をしていて興味深かった。その回答はよくわからなかったけど。
10月8日(水)
山田風太郎「風来忍法帖」読了
ブラボー素晴らしい。忍法帖シリーズは前の日記の後、忍法忠臣蔵と忍法八犬伝と江戸忍法帖と魔界転生(上下)を読んだけど、だいたいパターンが読めてきて、忍法もセックスすると相手が操られると、変装するのがしょちゅう出てだんだん、もう、いいかなと思ってたけど、これはいい、主人公側がみんな香具師で子悪党で忠義とかと無縁なんだけど、いつの間にか純真無垢な姫に心奪われて姫のために命を落としていくってパターンもいい。後、香具師の一人にセックスした相手の女を自分にほれさせてしまう忍法をもつキャラがいて、そいつに惚れたくノ一が7人いて、そいつらもいっしょに巻き込まれてんだけど、こいつらが又切ない
この構造ってあれだなぁルパン三世カリオストロの城だ。姫がクラリスでくノ一が峰不二子つまり峰不二子が7人いるんだな、そりゃ面白いはずだ。
思うに忍法帖シリーズって一対複数より複数対複数で複数の場合真面目な奴より、しょうもない奴がいっぱい出てくる方が面白い。それもガンガン死んでく方が、中島らもさんは星の潰し合いって表現したけど、この構造が如実に出てる甲賀忍法帖と風来忍法帖がダントツに面白いのかなぁと思った。(正確に言うと風来忍法帖の敵は3人、つまり味方がガンガンやられてくのが一つの快楽のような気がする)
サウスパーク第六シーズンはじまる
サウスパークって第五シーズンから一山越えたのか、どんどん面白くなってるなぁ
つまり9・11のテロ以降なんだけど、明確な敵が今いるんだろうな、保守化したアメリカ市民っていう、それが本気で反発すればするほどやる気が出るというか、前、トレイ・パーカーのインタビューでサウスパークに飽きてきたみたいなこと言ってたけど、今はやる気がすごい伝わってくる。第六シーズンの第一話は体の不自由な人にインタビューするテレビ番組にカートマン達がバターズを顎にタマキンのついてる男として出るという内容、体の不自由な人(自分に差別的なニュアンスがなくても書くのが難しいけどあえて以下フリークスと書きます)が次々に出てきて、彼らがテレビのゲストの巡業でお金を稼いでいて組合があるとか、テレビ局の景品がチャチだからデモをするとか(この描きかたがすごくダメ〜な感じですごい)、いいのか?って話。しかもその輪の中のどんどんバターズが仲間として入れられてどんどん深みにはまっていき、フリークスでないことがバレたらどうしようと怯える様が描かれてて、それを怖いと思っていいのか?と揺さぶられる。でも描き方は完璧ホラーだ。これが妖怪とか幽霊なら罪悪感なく見れるんだろうけど、って発想自体が本当はフリークスを排除する発想なんだな、と思った。基本的にそういう番組が多いから茶化そうって発想から出てるんだろうけど(あの番組は本当にあるのだろうか?ないと言い切れないとこがまた現実の凄さなんだけど)あそこまで描けるのってすごいなぁ。
ちょっと蛇足かなぁと思ったのは松尾貴史の解説コーナー、何だろ、中和しようとしてる感じがイヤだった。どうせああいうミニコーナーやるんなら火に油を注ぐようなものにしないと
戸梶圭太の短編とかあのノリでアニメ化とかしないかなぁ、すごくいいと思うんだけど
10月4日(土)
アンドリュー・ニコル監督の「シモーヌ」を観た
いやすばらしい、今年度ベスト1!(っていうほど観てないけど)
この人の映画については前に書いたけど、今回のが一番好きです。
映画でも、小説でも、マンガでもいいけど、基本的に物語って一つの嘘を作ってそれをどう守るか、あるいはどう破綻していくかを見せていくものなんだよなぁ、それをこの監督はよくわかっている、この人の映画のテーマは絶対「嘘」だと思う、トゥルーマンショーを観てて思ったのはあのセットの世界のプロデューサーの悲哀がスゴイ伝わってきて、ある意味、主人公より悲しい存在だったんだけど、あのプロデューサーはガタカの主人公でもあるんだよね、嘘の側にいる、どっちも多分閉鎖された世界から出ようとする話として観られてたと思うけど、今考えると、せっかく作った楽園を出て行かれる話にも見える。(本来、遺伝子で能力を測る世界なんて悪なんだけど全然そういう風に書いてなかったし)
で、シモーヌなんだけど、まず物語の積み上げ方が素晴らしいなぁと思った。
CGで作った女優のは話を最後まで描いてる。細かい遊びも(といっても後で2ちゃんねる観てわかったことが多々ありだけど、でもタランスキー=タランティーノ+タルコフスキーってのはわかった)いいし、ギャグも笑えながら冷たい感じがいい、しょっちゅう笑ってた。
関係ないけどシモーヌの演技が過去の女優のデータからってのがさみしかっなぁ
後半見てて思ったのはこの話どうやって終わらすんだろうってことだけど、この手の話は結構あって(架空の人間モノ?とでもいおうか)だいたいオチとしては
1、全部嘘でした。と主人公が告白する
2、本物が出てくる(この場合はシモーヌが自我をもつとか)
3、死んだことにする。
で、観てた感じだと3、かなぁと思って、(エスパー魔美に似た話があってそれを連想した)実際そっちに行きかけるんだけど、いやぁこの監督、鬼だわぁ、あのラストはよかった。
トゥルーマンショーでいうなら、主人公が街の秘密を知っても、別にいいかぁって言って、その後も街に住み着いて幸せにくらしました。って感じのオチ、かなぁ?
でもこっちの方が今って気がする。外に出ようみたいなメッセージは90年代までで00年代は外なんてないってことだろうか?とか思いました。あと、嘘でもいいじゃん、みたいな
それにしても、この人ってキャラクターに頼らないよなぁ、ワンアイデアをどこまで練りこめるかで勝負してる。これってすごい勇気だと思う。最近の物語ってキャラに頼るからストーリーが生きないんだよなぁ、これはある種、シモーヌ内にある俳優偏重主義への批判でもあるし。(といいつつ三作共主人公の名前がタイトルだ)
何というか、こういう映画大事だよなぁと思う、多分この監督の他の作品と同様に10年後20年後見ても楽しめる作品、つまり古典になりうる作品なんだと思う、この人の映画って。
追記、この監督とシモーヌを演じた女優さんは結婚したそうです。ちなみにこの人はCGじゃありません。