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今夜の番組チェック

11月


11月30日(日)

ピカンチをビデオで観た。
久々にレンタルで観ました。
内容は八潮の団地に住む五人の若者の青春グラフティと言えばまぁ正解かと思う。
去年シナリオを読んでいたのだけど、テンポはシナリオの方がいい。ここ数年の堤さんの作品、特に映画の方の傾向だけど、どうにもテンポがダラダラしている。(その意味での河原雅彦さんの色はよくわかんなかった)
多分「池袋〜」以降の傾向なんだけど、本筋以外のトコ、特にギャグが多すぎる。これが宮藤さんだとうまく作品の内容やテーマに絡んで作品の一部として必要不可欠な存在になるんだけど、堤さんが単体でやると、目立ちすぎるというか、作品の流れを止めてしまう。
もちろん、あんまりくだらなくて笑うこともあるんだけど(猿岩石のくだりとか)、これが続きすぎると辛い、だから恋愛寫眞の感想とかぶるけど、前半が少しかったるかった。(だいたい原宿デビューくらいまで、前評判で良いと聞いてた女の子のまわりで花が飛ぶシーンもウテナを見てる身としては今更だし、巨乳のおねぇさんに絵画や英会話教材を買わされるシーンは身につまされた)
ただ夜の屋形船を観ながら「あんな大人にはならない」と五人が言う所から話がカチッとはまり、五人の行動がズレてきて差が生まれてきたあたりから切なさが漂ってきてから、目が離せなくなってきた。
(人によっては白けるかもしれないけど、あの気持ちはわかるなぁと、屋形船の側にいるかもしれない立場としても思う。無力な十代後半の頃の世間との距離感はちょうどあんな感じだ、それを適切な距離で愛情をもって撮っている気がする)


主演は「嵐」のメンバーなのだが、いいなぁと思ったのはバンビこと桜井翔と二宮和也
この二人はやっぱり俳優としても経験値が違うからか存在感があった。
五人は進路がバラバラになり、その中でも大学進学を目指す男の子(彼女への見得で青山学園大学へ偏差値が10上がって51というのが悲しいというかわかるというか)が回りとずれていくと見せかけて後半の屋形船沈没計画で五人の心が一つになる、と同時に最愛の彼女との決別があるという展開は切ないやら笑えるやらでいい。
(ただ、そんなことで嫌いになるのが10代の潔癖さかなぁ?いいじゃん許してやれよ、売春してたわけじゃないんだし、とか思ってしまう。この潔癖さは宮藤さんにはない、というかストリッパーとかホテトル譲を平気で魅力的に描いてしまう。ただ、簡単に風俗に飛びこんでしまうがため、観客を置いていってしまう面がある。最近の堤さんはあえて観客のイメージからはずれないようにしているのかも知れない、なんてことをあのシーンを見ながら考えていた)

そして船を沈めた後の二宮和也の父親が首吊り自殺していたのを五人が発見するシーンも良かったけど、あそこはもっと内面を掘り下げるべきだったのでは?という気もした。あの後保険金が入り、その金でカルフォルニアに旅立つのだが、やっぱそこはきちんと書くべきだった気がする。

その後、入試のためにバンビじゃなかった桜井君がバイクに受験生の子を乗せてカーチェイスを警察と繰り広げるんだけど、そこはイマイチ、何というかムリヤリ映画にしあ感じで乗れなかった。まぁ先代の族長が助けにきてヘルメットでパトカーの窓を壊すシーンはおぉと思ったけど。
何か感想を書くと批判ばっかりになるが、実は不思議と好きな作品だ。
それは多分ピカンチという映画の背景にあるごちゃごちゃとした、あの高校生の男の子の悶々とした感じが自分の中に共有できているからだ。
「木更津〜」だとそこをかなり美化しているけど、ピカンチはもっと現実に近い。
(木更津にも初めはその貧富の差や大人と子供といった対立概念はあったんだけどいつの間にかみんな仲良しのユートピアになってしまった。まぁ「木更津〜」はそれでいいんだけど)

だから出来の悪い部分も補完できてしまう。もしかしたら自分のボンクラ高校生の頃の記憶に萌えているのかもしれない。

あと思ったのはこの話アメリカとかならスラム街とニューヨークみたいな構造で作ってわかりやすくなるのかもしれない。
どうも日本だと階層の概念があいまいで(数年後はわからないが)話が明確にならない。
あの団地内の世界観特に貧富の差をもっと丁寧に書いてくれればなぁと思った。

それにしても、こんな男臭い映画を「嵐」主演で上映してしまうジャニーズのJストームという企画は何なんだろうか?
「ピカンチ」が一作目で「木更津キャッツアイ日本シリーズ」が二作目、これをジャニーズファンに向けて送るって構造がわかんない。このまま行くと「さくらの唄」や「ヒミズ」、「グミチョコレートパイン」まで映画化しかねない勢いだ。ジャニーズ主演でボンクラ男子を描いて少女が観るってのは・・・・
できれば今現在悶々としている、映画秘宝を読んでるような男の子にも届くような回路があればいいなぁと思う。でも届かないのかなぁ?
例えばモーニング娘。主演で岡崎京子のPINKやリバーズエッジ、ヘルタースケルターを映画化するようなことがありえるだろうか?
無理だと思う。まず客がつかない、と製作者側が考える気がする。そう考えるとJ・ストームという企画の凄さとそれを受け入れてしまえるジャニーズファンの女の子の懐の深さに恐れ入るという感じだ。今はアイドルのへの愛情で見ているコ達もこれを入り口に良質な客(抽象的な言い方だが)になると嬉しい・
(もちろんテーマをストレートに受け入れているというより、タレントに対する愛情が先にある、いわゆるキャラ萌え先行なんだろうけど、思うにオシャレとカワイイを入り口にすればどんな作品も受け入れちゃうってのはスゴイ)
とまとまらないけどこんな感じだ。

11月25日(火)

一週間前に木更津キャッツアイ日本シリーズを観たけど、あまりに衝撃的(笑)すぎて、ちょっと感想を書くのを控えてました。
しかもこの作品、野球に例えると隠し球を楽しむ作品で、そこに触れること=作品の面白さをバラすになりかねないので、
もうちょっと落ち着いてからにします。
その代わり書く時は徹底的に書き尽くすつもりなのでご期待ください。

トリック

5,6話の「絶対死なない老人ホーム」の回は久々に面白かった、もちろんミステリーとしては評価低いんだけど、それにも増して後味の悪い、あの初期のイヤァ〜な感じが復活しててよかった。
トリックって基本的に騙す側の話だったんだけど、今回の話は騙される側、もっというと騙されたい側の話にまで踏み込んでいる。わかりやすく言うと
信者だってわざと騙されたふりしてるんじゃないか?って話だ。今までは騙す側を悪役にしていればよかったけど、今回のトリックはどうも騙された側こそ騙してたってオチが多く(もっとも今までの話でも何回かはあったけど)
よーく考えると映画版自体が村民が本物の神様を選考する話だし、その辺りから関心のあり方が変わってきているのかもしれない、でも基本はミステリーだからあんまりオチがわかる様だと辛いなぁ
追記、鬼束ちひろのエンディングテーマがいい。

11月9日(日)
橋本治著「二十世紀」を元に二十世紀の簡易年表を作成しました、私は歴史が苦手なので、ちょこちょこ勉強して自分なりの縦軸と横軸を作りたいと思います。

ここ半年くらいBS2で土曜10時半に山田太一さんの「男達の旅路」が再放送されていて見ていて、感想を書こう書こうと思っているのだけど、うまく書けなかったしこの回も書けている自信はない、でも触れとかないとイカンという気持ちにはなるので書く。
それは多分作品に触れることと、作品のテーマに触れることがつまり老人問題とか障害者問題とか社会的弱者の内面の問題で、そこにダイレクトにぶつかりすぎているからだ。今回の第四部「車輪の一歩」なんかその頂点(第三部第一話の老人問題を扱った回もすごかったけど)でまず主人公のガードマンの兄妹がビルの入り口にたむろしている、車椅子の男達×六人組に「移動してください」って妹の岸本佳世子が言うという大変気マズい所から始まり、仕事が終わった兄妹の所に「ポルノ映画を見るからつきそってくれ」と観にいき、その映画館が地下にあり車椅子だと降りれなく兄が降ろそうとしても一人では降ろせない、だからまわりの人に降ろすの手伝ってくれと声をかけることとなる、そしてその夜「兄妹」のアパートにその六人の内の二人が「アパートから追い出されたから泊めてくれ」とやってきて、人の良い「兄妹」は彼等を泊めてあげてアパート探しを始める。

その後はいつもの吉岡さんこと「鶴田浩二」が出てきて対話するんだけど、個人的な感想を書くならドラマというより、その問題のレポートを見せられたような気がして、いわゆるドラマの面白さではない気がする。
山田太一さんのドラマの作りかたって基本的に対話の数珠つなぎでどんどん話を広げていく。この回なら最初は車椅子の六人と兄妹の障害者と健常者の対話から入り(それにしても以前の老人の時もそうだけど、弱者の屈折したルサンチマンを書かせたら右に出るものなしだなぁ、これがギリギリ説教臭くならないで生生しいものを生み出している)
先輩の吉岡さんが出てきて、そのルサンチマンを兄妹にぶつけるのは甘えではないか?と言い、それに彼等が反発したか?と思うと次の日、彼等の一人が吉岡さんの家を訪ねてくる。(しかも障害者だから家に入るのも吉岡さんの手を借りないといけないという部分のディテールをきちんと描く)こうやって話がどんどん緻密に広がり、それぞれの考え方内面を見せていき、その六人の文通相手の車椅子の女の子とそのお母さんの内面まで掘り下げていく。この手法はシンプルでダサいんだけど、何ともいえない力強さを感じさせてくれる。文字通り「骨太のドラマだ」しかもそれでありながら、一種不条理な空間が時々現れる。(例えば老人達が終電後の電車の中に立てこもったり)
第三部からはちょっと流れは違うけど、基本は吉岡さんと若い世代(当時の)桃井かおりと水谷豊、柴俊夫との世代間対立がメインだったのだが、三部のラストで桃井かおりがリタイヤし水谷豊も四部の一話で失踪した吉岡さんを連れ戻しに北海道まで行き一緒に帰ってきながら、二話冒頭、馴れ合いになるからといなくなってしまう。
俺は若い頃の水谷豊が好きで見ていたから再登場願うんだけど、どうなんだろう?
来週から第五部が始まるのでまだ見続けるつもり。

追記、やっぱうまく書けないなぁ、多分、作品自体が主張してるから台本読んだほうがはやい気になるからだろうなぁ、ある意味評論とか論文的な作りなんだろうと思う、「傷だらけの天使」や「早春スケッチブック」、「29歳のクリスマス」の脚本が文庫化されてるけど、男達の旅路も文庫化してほしい。
(邪推だけど木更津キャッツアイの脚本が売れたからなんだろうなぁ)

11月7日(金)

いよいよマンハッタンラブストーリーが面白くなってきた。
宮籐さんのドラマは人物配置が安定したらもうチューリップが開いたようなもので、ほっといても面白くなるなぁ。
まさに関係性のドミノ倒し、ついでに視聴率の低さまでネタにしだした(「何が記録より記憶に残るドラマよ」とか「軽井沢婦人」の視聴率の低さに激怒する志倉(字違うかな?)先生とか、僕の魔法使いの上パンさんはちょっと引いたけど、こういう形で脚本家の先生を出すのは全然オッケーだと思う)
正直、宮籐さんは毒を隠してるので、もっと出して欲しい身としては嬉しい限りだ。それにしても自分でABCDEがそのまま頭文字のなってることを言うとは思わなかった。
でもドラマの展開に繋がってるからいいけど、Fが船越英一郎でGが蒲生忍になるんだろうけど、あと主要人物はマスターだけだってこと考えると八話で終わるのだろうか?
(マスターの苗字はわからないけど、多分忍君♀がマスターを好きって展開はバレバレだし、)
せめて木更津と同じ九話くらいはやってほしいけど、視聴率低いからなぁ。8%代だもんなぁ。深夜の方が数字とれるんじゃないだろうか?

今アニメって視聴率じゃなくてDVDやビデオレンタルで制作費分を回収してるんだよねぇ、もちろんほとんどがトントンかそれ以下って状態みたいだけど、そろそろ視聴率で番組の人気を判断するのって考えた方がいい気するんだよなぁ、30パーセントとるけどみんながダラダラ見てる番組と10パーセントしか見てないけどカルトなファンがつく番組、スポンサーだって対応の仕方が違うだろうし。その視聴者の数じゃなくて質でスポンサーが判断できるような構造ができればなぁと思う。
もちろんそうなった場合マニアックな番組ばっかりの今の深夜アニメみたいになる可能性は危惧するんだけど。
ただ宮籐さんもプロデューサーの磯山晶さんも数字欲しいみたいでびっくりした。あんなドラマ作るぐらいだからハナから無視してるのかと思った。

そういやもうすぐ木更津キャッツアイの映画が公開で方々で話題になり雑誌でも特集されてるけど、何て言うか、気が熟すまでにニ年弱かかるんだなぁ、これが時代のスピードなんだ。と改めて思った。放送初期から騒いで途中で息切れした自分としてはうまく乗れないで遠くから見てる感じ。正直、宮籐さん自体にはそんなに関心がないのかなぁと最近思う。ドラマは好きだけどグループ魂。とか興味ないし、著書も買ってないし、その上ラジオまであるんだもんなぁ、高校の時なら一生懸命追っかけてたと思うけど。
多分俺は宮籐さんが引き受けてる「男の子」の部分が好きなんだと思う。乱暴に言えば、今「男」としての自分を引き受けている作家とか評論家っていないもん、男のくせに女子高生とか少女に夢中の人は腐るほどいるけど、そんなにモテたいか?(あぁモテたいよと返してくるんだろうなぁ)
例えば80年代ぐらいから生まれた岡崎京子さんの作品にあるような、今までとは違う女性として生きなきゃいけなかった女の子について書かれた作品に対応するようなフェミニズムの男版、ジェンダーとしての男の子文化とは何かってみんな考えてこなかったんだよね。当時岡崎京子は「大人の女の子のモデルがない」って何かのあとがきで書いてたけど、実は男の子のモデルも失われてたんだよ。唯一社会に出てオヤジになる道ぐらいしか。
当時は男の子はオヤジになればよかったから気にしなかったけど、今はもうオヤジは自分の席を守るのに必死で新しい男の子を雇う気も育てる気もないんだよ。そうやって社会から男の子が弾かれた時、何が残るの?
今起きてる青少年犯罪がその帰結じゃないの?って思うんだ。そんな中で「男の子」のモデルを提示してたのが、例えば望月峯太郎さんの「花井カオル」だったり、古谷実さんだったり松本大洋さんだったりしたのでは?と今考えている。そしてその先頭に宮籐さんの「木更津キャッツアイ」があるんじゃないか?というのが今の俺の乱暴な仮説。
その文脈で一回木更津キャッツアイを総括してみたなぁと思う、今ある評論は当時のただただ、あの楽しい気分を共有したいという思いが出てて野暮な批評をしたくないという意思表示だったんだろうけど、もういいかなぁと思う。
続きは映画を見てからかなぁ?
タイトルは決まってる。
「ビバッ!男の子ボーイズ」だ。
もうそろそろ、「男は黙って」の世界から抜け出ないと、どんどん男としての自分がダメになる気がする。

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