5月
5月31日(土)
投稿用アイデア、学校モノと別に思い浮かぶ。
先にこっちをまとめようか悩む、
あと数ヶ月前に描いたものが今の技術と較べると雲泥の差がありすぎて少しずつ直してる。約3ヶ月こもって描いてるんだけど、さすがにノウハウが出来てくる。
大事なのははじめに想像力の範囲を決めておくこと、その後その範囲で悪戦苦闘する。そうするのが一番堅実な道という気がする。
24アワーパーティピープルを観た。
監督はマイケルウィンターボトム、この人のバタフライキスがとても好きでそれ以降のものも人通リ観てる、この人のとる寂れた風景が好きだ、近代化が終わった以降のヨーロッパ人の内面というか、何もないってことがよくわかってる、
今作も音楽映画としてももちろん見れるんだけど、ボトムさんのファンとしてはいつものあの感じが健在でうれしい。それとは別になんといっても主人公+狂言回しのトニー・ウィルソンが最高、インテリっぽいこと言いながらそんなのぜんぜん信じてなくて、ただただおのれの衝動のまま、レコードをプロデュースしてく、ドンキホーテ的人物、最後はレコード会社もつぶれるんだけど、全然感傷的じゃないから、昔はよかった的空気はゼロ、途中に入るカメラ目線のナレーションも好き。
基本的な構造というか目線はハッピーマンデーズとトニーの話だなぁと思った。
ニューオーダーはあんま出ない。
惜しむべきはこっちがドラッグカルチャーの部分がよくわかんないことだけど、それ以外は日本でも通じる今の話だ。感想どうこうよりトニーみたくありたいなぁと思った。最後失敗すんのはヤだけど。
5月26日(日)
投稿用作品終了、約2週間かな。
もう少しペースと完成度をあげればイケルと思う。次作はモノトーンの学園モノ、夜の学校が舞台、何となくティム・バートンのイメージが浮かんで(ヒロインがウィノア・ライダー系の)ムック本を読んでる。わりと骨組がしっかりしてるから流用が簡単だ。あと最近は保守系のマンガ、島耕作とかそっち系の作品ばっか読んでる。読者としてはイマイチだけど、この読みやすさは尋常じゃない。量産してる作家にはそれなりの理由があるのだと思った。
恩田陸 ネバーランド文庫版を読んだ。
一回読んだけど、あらためて読むといいなぁ
今学園モノに頭いってるからよりいい。
あの4人の主人公て多分血液型全員別だ。
人間関係の相互関係で作ってくドラマってすごく参考になる。今BSで「男達の旅路」という山田太一さんのドラマが再放送されてるけど、山田太一作品も狭い人間関係の乱反射で作ってる。こういうのをもっと読みたい。
僕の魔法使い
第4話の探偵物語のパロディをやりだした辺りから方向性が決まった気がする。そう考えると2話は傷だらけの天使で、主人公達の何でも屋の感じは「俺達は天使だ」を思わせる。
主人公は沖雅也っぽいし、そこに今作品の裏テーマ(表は夫婦愛?)の「記憶」が絡んでくる。記憶の誤差行き違いがドラマの鍵になってる。今作品に限らず宮籐さんの作品はキャラが立ちだして役割がはっきりしだしてやっと面白くなる。そこまでは小ネタを楽しむけど、木更津〜は一話からその関係が出来上がって、テーマである死が一話の後半でどーんと出たけど、今作は小田茜演じる西さんと社長と田町さんの三角関係が出来たあたりから広がりが出てきた、主人公夫婦はある種完成してるから、そっちが発展するのが面白い。といいつつ6話ラストでるみたんが田町さんの姿から元戻んないとこからまた面白くなってきた、だんだん設定を壊しはじめてる(笑)楽しみ。
ちょっと他の(TBS系の)宮籐さんのドラマに較べて落ちるのは街の魅力が乏しいトコかな、地元に根ざした何でも屋という設定はもっと生かせる気がする。まぁ今のトコ満足
他には「君はペット」と「動物のお医者さん」が面白い。特に「動物のお医者さん」はローテンションのまったり系でエッセイのよう、1時間に3話というサザエさんスタイルも新境地ではないか?しかも脱力系だし、和久井映見もいい
そうとうマンガに忠実な気もする。
あとは岡崎京子さんの「恋とはどんなものかしら」を買った、ヘルタースケルターと違い時代性があんまなく、楽しく読める。
5月13日(火)
投稿用マンガ半分くらい終了。モノクロでもカラーでもあんま手間がかかんないような気がする。
今日は一休み。
リアリティを作るということ。
今日、ひさしぶりに「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ オトナ帝国」を見た。まぁテーマ的なことや内容は語りつくされた感があるし、自分の中にもそんなにないんだけど、見ていて引っかかる瞬間が多々あった。
まぁ最初の万博のシーンが長いのは置くとして、あの組織の成り立ち、もっというと構成員がどう見ても10代後半から20代、チャコですら30代くらいだと思う。おそらくケンは40代なんだよな。つまり世代的にはバラバラ、ケンと同じ記憶を共有しちゃいないだろうという気がする。あそこであの部下が従うバックボーンは何か?臭いで洗脳されたのか?
と考える。あと子供狩りをするんだけど、俺があの組織ならほっといて餓死するのまつけどね、あの電気が止まったり、食料の取り合いが起きる描写はそれを匂わしてるんだと思う、ただそれをやったらゾンビでありバトルロワイヤルでありドラゴンヘッドになっちゃうんだけど、そういう意味でしんちゃんの世界のリアリティに止まることで、危ういとこに行かないですんだなぁとか思った、オリジナルで容赦なくやったらそうとうキツイ話だ。
しんちゃんの親がおかしくなるシーンも怖いけど、しんちゃんがそこを感じてないから救われるし、笑って見れる、あの年代だから得だ、敵の撃つ弾が銀球鉄砲だし、そもそも匂いで幼児化してるからか組織としてはそうとう役に立たない、多分しんちゃんの映画で一番ダメな(イデオロギーは別に)組織では?
そもそも20世紀博物館が大盛況なんだから正攻法で資本主義の舞台にのせてけば、すんなり世界征服できたんではないだろうか?例えば押井守のうる星やつら2ビューティフルドリーマーだと、この世界はオカシイと何人かの登場人物が思い、思った人物から消されてく過程が描かれており、ある種デタラメな世界なりのミステリー的法則があり、だからこの世界から出ようという支配被支配の構造がちゃんと視聴者にもわかる。それがオトナ帝国にはない。唯一最初に子供達が懐かしがる大人に対し不安をいだくシーンはあるけど、そこだけだ。(他の映画版ではたしか自衛隊が敵組織のロボットと戦うシーンがあった。オトナ帝国と国家の衝突が描かれてたらまた違ったモノが見えたのではないかと思う)
更に言うと後半ケンがわざわざ野原親子を家につれてきて、自分達の力の秘密をあえてバラして、止めてみろという。そしてその野原親子の活躍を監視カメラで街の人が見れるようにして、判断を街の人に委ねてる。
あと推測というかこっちの感情で見てしまうのだが、ケンだけがノスタルジーに酔ってない気がしてしまう、醒めてるというか、むしろ嫌悪すらしてるような(ヒロシにエキスポ70のワッペンを渡すとことか)、多分ケンとチャコは何らかの理由で結婚ができない関係なのだろう(姉妹ってことはないだろうけど不倫の関係とか)、更に言うとチャコに至ってはノスタルジーのアイテムが大事なのでなくて、今ある世界から逃げ込める場所としてのあの街を求めてたんではないか?(余談だけどチャコの造型って松本零士のキャラだなぁメーテルとか、あとオウムとか今話題の白装束集団的なものも感じてしまう、閉じこもることで、ある種の幼児性を保ってるトコとか、実写でやったらそうとうキツいだろうと思う)
つまり結論から言うと、この組織はやる気がないということだ、もっというと道徳の番組みたいにテーマがあってそれを考えさせるためにストーリーがある気がする。思想のシュミレーションというか、だから普通のリアリティで見ると?なトコが多いんだろうな、これが20世紀少年だと普通のリアリティの部分が先にあってそのためにテーマが前面に出ないつくりになってしまう。逆にオトナ帝国はリアリティをしんちゃん世界に止めることでテーマを語りやすくしている。
さてここでオトナ帝国のテーマには触れない、問題はそのリアリティの在り方だ、わかりやすく言うと、この世界に死者はいない、例えばひろしや、みさえが道路に置き去りにされても車には轢かれないし、子供もバスを運転できる。押井守さんが宮崎駿作品の未来少年コナンでピンチのコナンが高いトコから飛び降りてピンチを脱出するトコを批判していてちゃんとは覚えてないけど、土壇場でマンガ的世界の方法で解決するのはルール違反だ。という意味だったと思う。要するに普通なら高いトコから落ちたら死ぬだろって突っ込みだ。
しんちゃんはギリギリここの世界に止まってる。ついでに言うと次の戦国大合戦では本当の死を描いてしまった。最後の最後につまりあの作品でしんちゃん世界から離脱してリアリティの方に来てしまったんだと思う。原恵一監督は、しんちゃんの監督ができなくなるのも無理がない。
なんかこう書くとリアリティの方に行くほうが偉いと言ってるように聞こえてしまうかもしれないけど、そうは思ってない。
むしろ、しんちゃん世界というリアリティを今まで作ってきたこの作者達がすごいと思ってしまった。多分一つの虚構を作りあげるということは設定とかと別にリアリティの線の引き方も関係があるんだろうなと思う。
5月6日(火)
「3DAYS」の3日目の絵が終了、やたら時間がかかるなぁと思ったら1日目+2日目のほぼ2倍近い量が
あった。とりあえずUPはするけど、まだ足りない分の絵とネームを作って投稿用に再構成する予定
ためしに1DAYをマンガっぽくまとめてみたが、中々の出来、さるページ無制限(全体で80ページ以上になるので)に送るつもり、今月はそれと別に投稿用に2本描く予定、ノウハウは出来たのであとは体力とやる気だ。
舞城王太郎「熊の場所」「阿修羅ガール」「九十九十九」を読んだ。
読んだのは飛び飛びで今読んだのが九十九十九なんだけど、どんどんわけがわかんなくなってるなぁ、
その分文学ってことなんだろうか?この人の作品って、時々ツボに入るシーンや台詞が紛れてて、それ以外は凄まじいスピードで流れてくが、その分読む快楽は強い(何かで文圧が強いと書かれてたような)
だから読み終わった後、何だよ!って言いたくなる、これが他の作家だと(それこそライバル視してる佐藤友哉とか)まだ統合性がある、でもこのデタラメさがあるから量産できるんだし、勢いがあるんだろうなぁと思う。
ストーリーでなく読む快楽があるなぁと思う。
あとは岡崎京子さんのへルタースケルターを読んで一時期かなり当てられて、岡崎作品やその批評を読み返したりしてた。まぁ短編集や「うたかたの日々」も出るみたいなのでその時また考えようかな、ヘルタースケルターに関して言えば、自分が女で少女漫画ファンなら、ある種もういいかな、これで打ち止めだよ。って思う気がする。感触としてはファイトクラブに近い、どっちも資本主義社会がテーマにあるんだろうけど、ファイトクラブがアンチ資本主義でカルト宗教みたく閉じていくのに対しヘルタースケルターは文明の毒を徹底的に食らい尽くすことで別のトコに突き抜けていこうとして、実際突き抜けた!!って気がする。
ここに男の子と女の子の違いを見たりしてた。
あとは「僕の魔法使い」はまぁ楽しく見てるかな?