[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック

6月


6月30日(月)

新しい作品のための準備、多分7月一杯で金銭的な余裕がなくなるからこれだけ!って感じで書けるのは今回が最後、今まで投稿した作品が何らかの結果が出れば別だけど、8月以降はバイトしながらになる、その意味で次のは勝負球になる気がする。物語は決まってて手法をどうするか考えてた、音楽で言うと曲かな?、短編ってのは構成が出来るとサクサク進む。
で、考えたのは日記を元にしたマンガだ。言うなれば嘘日記
はじめに○月×日(晴)〜がどうなる
みたいな感じで描き、最後に、「まったく困ったものだ。」とか「まぁどうでもいいが」オチに当たる部分を書く。そしてその間を絵で繋ぐ、モノローグがわりに日記のフレーズを使うことで現実とのズレを出す。そういう感じ

この形式はマンガでは吾妻ひでお先生の不条理日記があるが、いわゆるギャルゲーの日めくりカレンダー形式から着想を得た。
物語を作ろうと思うとどうしてもある程度の(作品内での)時間の流れが必要になる、キャラに愛着がないと平気で何十年も飛ばせるんだけど、俺はそこまでできない(今回の作品では)正直ギャルゲーの美意識は好きになれなかったけど
あのシステムは魅力的だった。そのためにKANONをもう一回やる気にはなんないけど。

日記を読む

そのためにいろいろ日記を読んでる、ネットに載ってるものはもちろんだけど、面白いのは中野翠さんのサンデー毎日で連載されてるエッセイ、まとめて読むといろいろ発見があって楽しい、特に95年のものがオウム一色でその時代の空気が蘇る、今ネットに出てるのはせいぜい98年ぐらいからのものだからすごい貴重だ
しかも読み物として抜群に面白いし、日記の物語性に感動してる。

なるたるアニメ版1、2話を観た

う〜んこんなもんかなぁ、オープニングアニメにはのけぞったけど、俺としては明ちゃんはイメージ通リだからいいけどホシマルかわいいし、
最終兵器彼女もそうだけどアニメとマンガ両方見てるとその最大の違いは線だな
線がすきっりしすぎると作者のリビドーが抜け落ちちゃう、
あとは時間軸、特にギャグマンガだとよくわかるんだけどマンガだと自分の生理というかリズムで読めるけどアニメだと、それが向こうまかせになる、そのリズム観が面白い人だといいんだけど、普通の人だと何かなぁって思っちゃう、
昔なるたるをアニメ化するならウテナの幾原監督にやって欲しいと思ったけど
(ジブリで、やっぱ飛行シーンも惜しいなぁ)アニメ版を観ててもっとテンポが速くていいのになぁと思った。

あとバトルロワイヤル2の予告観たけど、戦争を大人と子供の問題にするのって無理があるというか、そこが薄っぺらいアニメみたいな感じにしちゃってるなぁって気がする、あとあの世界の戦争観がいつの間にか大人がかってにはじめたものって感じで(実際は違うのかな?でも印象ではそう感じる)子供被害者の構図を強調しすぎな気がした、何かそういうことやると設定としての戦争になっちゃって大事なことが抜けおちる気がする。(リアリティがないとはいわない学徒出陣とかあるわけだし)
設定としてのってのは子供達の成長物語の舞台としての戦争って意味で、だけど
多分監督の深作健太さんの中には(あるいは深作欣二さんの)明確に戦争反対みたいな気分ってあるんだろうけど、それより、戦争って燃えるなぁワクワクするなぁって感じの方が強くでてて、う〜ん
例えば最近小川勝巳さんの「葬列」の文庫版が出て一気に読んだんだけど、
「これは私達の戦争なんです」ってフレーズがある、まぁその戦争ってのはヤクザを大虐殺して金を奪うっていう大儀も正当性もないもの(復讐で参加する人間が二人いるけど)なんだけど、その中に藤波渚っていうキャラがいて、そいつの動機が生きている実感の獲得なんだよね、そのための戦争、で多分これってBR2の前田愛の動機と同じなんだ(小説のはじめだけ立ち読みした印象だけど)
葬列の戦争は徹底的に個人的なものだから逆にBR2より健全な気がした。
10代の少年の内面と戦争は別な気がするなぁやっぱ。
これはちょっと後々考えよう。(でもBR2も観ないですますかも、どうせネットにいっぱい感想でるだろうし)

6月26日

完成した原稿をプリントアウトしている。データと紙のすられたものだとイメージ
(特に線の大きさの印象)が違う、だからプリントしては修正してプリントしては修正という感じで結構時間がかかる。描いた時点での誤差を極力なくしたい。
こういう細かい手間が結構時間がかかるものなのだ。

最近はいかに現物をみないで二次情報だけで作品を想像できるかという遊びをしてる。まぁ金がないってのもあるけど、見ない方が面白いかなぁとか思う時がある。その作品はマトリックスなんだけど、ネット上に散らばる感想を観てると自分の中のマトリックスが出来上がってきて楽しい。元々1はビデオで観たけど、面白いとは思えず、めちゃめちゃ金かけた戦隊モノだなと思った。
ただちょっと軽視してたかなとテレビ放送してたのを見て思って、つまりあれは仮想現実の世界だからあんなデタラメなアクションができるんだなと思って、つまり、あの世界自体が映画なんだな、もっというと登場人物が自分が映画(もっというと物語)の住人なんだって自覚した映画っていうのかな、昔ラストアクションヒーローってあったけどあれをもっと頭良くしたものなんだなって思った。
だからあの後出てきたマトリックスのアクションを真似た映画とは根本から違う気がするし押井守さんが銃じゃ柱は壊せないって突っ込むのは筋違いで、ウォシャウスキー監督としてみれば、いいじゃんマトリクスなんだからってことなんだろう。
実はこの二重性がマトリックスを他の作品と違うものにしてて、これは監督の姿勢と二十写しになっててCG使えばこんなすごい映像が作れるんだぞっていうアンチリアルによるリアルな作品の否定にもなってる。
だからこの作品はいわゆる夢落ちならぬ映画落ちになるのかな?と思ったけど
感想を読んでるとあながち間違えじゃないみたいだ。自己の希薄さに悩めばいまどきの作品だけど、この作品はそうかこの世界はCGで出来たマトリクスなんだ、みんな薄っぺらなCGなんだ、っていう反転がこの作品がすごい支持されてる理由なんだろうな、なんかごちゃごちゃしてる感想だけど、考えてると層が出来てくるのもマトリクスのなせる技か?映画はつまんないんだけどね

ガンダムZZを見てるけど、結構面白い、これっていわゆる子供の正義の話なんだよね、Zまでは真剣に若者を(時に殴って)たしなめてたブライトが穏健なキャラになってたのが何かなぁと寂しくなる、あと主題歌が恥ずかしい(アニメの主題歌に「アニメじゃない」という反語を持ち込むセンスってすごいだろっていう秋元康の顔が浮かぶ、別の意味でベタで恥ずかしい)のが気になるけど、今のトコ楽しい
確か後半主要キャラがバタバタ死ぬんだと思った(前半に出てきたライバルキャラがどんどんおかしくなっていく)全体としては主人公のジュドーがさらわれた妹を助けるために戦うという構図で途中で妹のリーナが死んでからシリアスな話になっていった気がする。もしかしてサリンジャーの影響を受けてるのかなとか少し思った。実の妹とその妹と対するキャラとしてのプルとそのコピーのプル2が出てきて
大ボスの位置に女帝としてのハマーン・カーンがいる、そもそもキュべレイというモビルスーツが女性的なデザイン(蝶がモチーフか?)で全体的に女性のイメージが強い(逆に男キャラは女に翻弄され続けるグレミー・トトがいる)
多分89年前後の作品と思うのだがすごいおたく色が濃厚な気がする。
時代だなぁって

6月22日

何かダラダラ、昔買った文庫を読み直しながら自分の立ち位置を確認している
結構ツボだったのは「中島らも」の軽いエッセイ、
「僕に踏まれた街と僕が踏まれた街」の高校、浪人時代の何もない(出来事はいろいろあっても実感としての空白)感にすごいシンクロする、あの中途半端な田舎のあぜ道を歩いてる感じ、あの感じが好きか嫌いかは別にピンと来る風景だ、自分にとって、どんなことがあっても、実感として何もないんだよ〜って感じがある人の作品が結局自分の中に残る、(他には色川武大がツボ)似た系譜では大槻ケンヂ作品がそうかな、「新興宗教オモイデ教」、みたいな作品が描きたい。

あの何も無い感じをたどってくと「独り」の男の子の姿が浮かぶ。
オモイデ教の主人公もそうだし、マンガだと何といっても安達哲の「さくらの唄」が浮かぶ、「ずっとひとりぼっちの女の子を描いてきた」と岡崎京子さんはエッセイで書いてたけど、ひとりぼっちの男の子だっていっぱいいる。ひきこもりとは別に意味で、一時期爆笑問題の太田光が好きだったけど(今は普通に好き)それは彼が高校時代ひとりぼっちの男の子だったからだ。
このひとりぼっちというのは周りに人がいないという意味ではない、たとえ回りに人がいっぱいいても自分は本質的に「独り」だと気付いてしまったという方が正解かもしれない、例えばバタ足金魚の花井カオル君もそう、そういう男の子が何とかあがく話、そこに戻れば何とかなるかな?と次の作品について考えてる。

所でこういう独り感って俺より下の世代、今の20歳前後の子には薄いのかもしれないと時々思う、例えば最近乙一原作の「GOTH」をマンガ化したものを読んだのだけど、これを読んだ時、自分より若い世代だなぁと思った。
自分やその上の世代がこういう題材を扱うならもっとかまえる気がするけど、すごいのびのびとモチーフを提示してる気がする、この題材を読者と共有してるという自信ともいうか(異常心理とか猟奇犯罪が共有されてるというか環境化してるというか)例えば今高校生の子がいたとして同じクラスにGOTHを読んでる子が何人いるかと問われたら結構(5人前後)はいるのではないか、俺の世代だったら共有されず一人でひっそり読まれるタイプのもの(あっでも完全自殺マニュアルがあったなぁ一概にはいえないかも)で読みながら陰々滅々とした日々をなんとかやりすごそうってためのアイテムだったのだと思う。
と書いてて気付いた、今ってそういう10代の鬱屈が共有されてるんだ。
その共有があるから、鬱屈はしても孤独にはならない、鬱屈、不満の共有、なんか嫌な感じだ、2ちゃんねるなんかまさにこれだな(笑)
似た印象はバトルロワイアルにも感じる。あと最近アニメで観たガンパレードマーチのアニメ、最終兵器彼女もいれていいと思う。漠然とした印象だけど、これらの作品はバックボーンに戦争という大状況をもってくる。10代の男女が戦争という大状況によって深いつながりを獲得している世界、だから小さい声で羨ましいとつぶやきたくなる。(同じクラスにいても何も接点をもてないあの子とも戦時下ゆえに共有できる時間、修学旅行感覚、ああいう世界ではイジメも少ないのではないかと邪推する)戦時下という大状況を10代の子に持ってきた作品というとエヴァもそうなんだけど、シンジ君の孤独感は伝わってない。多分俺より下の世代の特徴として90年代後半に学生時代を過ごしてしまったというのがあるのだと思う。オウムや阪神大震災、酒鬼薔薇事件を同学年で共有して少年犯罪とかもけっこう身近に考えることができた世代、真剣十代しゃべり場とかで10代の悩みとかで毎回やってるのもそうだと思う、つまりそういう大テーマをどうだ〜って出してちゃんと反応が返ってくる環境があるって肌で理解してるとでもいうのかな。
今ってひきこもりとかいる一方、完全に独りになるのはそうとう大変な気がする。
特にネットとか見てると尚更、だから孤独感がないというのも別に意味で抑圧なのかなとも少し思う。

ニンゲン御破産を観た

ビデオにて作は松尾スズキさんで大人計画のお芝居、途中からメタな方に行くのが少し辛かった。今ってメタフィクションですらも一つのパターンとして制度化されてるから、当たり前のものとして受け入れてしまう。最初っから松尾さんが出てきていろいろ言うのも楽しいけど・・・・、むしろ田畑智子と2人のマタギのからみ田畑智子が甲乙逆転の術を使うとミュージカルになるとことか最高におかしかった。
ああいう人間が一杯でる話はマンガにすると300ページくらいになるのかな?
出てくる人間が情けなくて愛着がもてるのも好き。

僕の魔法使い

多分来週最終回かな?最終回近くで主人公と同じ境遇の人間が多数集まって群集劇になるってパターンはすごい好きでこれもそうかと一瞬思ったけど、どうだろう?ああいう瞬間にSFを俺は感じる。
あと井川遙がいい役もらったなぁと思った。前々回の上パンさんというある種宮籐さんを連想させるキャラが出た時は少し心配したけど(しかもシリアスで)その心配はいらないかな、ホント観てる間は魔法にかかってるみたいだ

6月19日

投稿用第2作目完成、だいたい20日で31ページかぁ
感覚的には一ヶ月1本かなぁ、がんばればもう一本描けるけど、それよりはあと何日かネームにかけたほうがいいかも、あとどんどん煮詰まってくるから、やっぱバイトしようかなぁと検討中、ペースは作れたし。
ちなみに没タイトルは「僕は君のパパになる」あまりにまんまなんで没
内容は変なコメディ、できれば連続モノでやりたい、キャラが好き。
あと今回は和風の家を描いてたんだけど、なんかツボに入った、縁側とか障子とか畳とか、あとヒロインのお母さんの着物。

それの関連資料で邦画を立て続けに見てたんだけど、これが中々
できるだけ辛気臭いのを見てた。
特に篠田正浩(字合ってるか?)の「瀬戸内少年野球団」と「少年時代」
神代辰巳の「もどり川」(橋だっけ?)がいい。あんまり思い入れがないものを見てると面白いのは距離があるのでクールに見れること、全部だいたい80年〜90年初めくらいの作品なんだけど、何と言うか邦画の断末魔というか悪あがきを感じた、ねちっこくてうっとうしくて汗臭いんだけど、異常な熱がある。逆に言うと邦画から失われたものがよくわかる、今の映画と較べるとホント厭世の感がある。
そういや「復活の日」も観た(斜めに)あと忠臣蔵の映画も深作欣二監督のあがきをすごく感じる、その意味でバトルロワイアルの意義ってデカい。

一個一個感想を書いてもいいけど、それ以前に邦画の断絶を感じた。
今の邦画を支えてるのはミュージックビデオやテレビをやってた、岩井俊二(その助監督だった行定勲)や堤幸彦ラインと(ちょっと違うけど北野武、竹中直人監督もそうかな)Vシネ経由でアート系の領域に行ってる
三池崇史、黒沢清、青山真治ラインとアニメの庵野秀明、押井守、あと別格のジブリだもんなぁ(あと、これから出てくる三谷幸喜、宮籐官九郎、松尾スズキ、ケラリーノサンドロビッチ等の演劇ラインか、青の炎ってのもあったし)
邦画ど真ん中って山田洋次監督ぐらいだったのかもしれない。あとはガメラの金子修介監督くらいで、結果おきたことは年齢による住み分けで国民みんなが観る映画ってのがなくなったんだなぁって思った。ちなみに80年代ってそれに抗うように大作の邦画が山ほど作られてるんだよなぁ戦記モノ、庵野監督が97年頃最近戦争映画が作られなくなったって語ってたけど、(ちゃんと調べてないけど93〜94年頃、「聞けわだつみの声」と「君を忘れない」っていう戦争映画が作られてた気がする、東條英機の伝記映画(98年くらいかな?)を除いたら実際の戦争映画ってあの辺りが最後でその代わりに来るのがガメラでありバトルロワイアルでありあるいはもののけ姫やガンダム、エヴァ、パトレイバー、AKIRAみたいなアニメになるのかなぁ、すごい乱暴だけど、実録戦記モノのフィクションの戦争化への流れと邦画の興亡ってすごいリンクしてるなぁと思った。
だからそういう視点から見ると戦中派の深作欣二、篠田正浩監督の位置ってすごく面白い。なぁ今度改めて少年時代の感想書こう。
追記、ちなみにハリウッドの方は戦記モノって定期的に作られてるなぁ
プライベートライアン、シン・デットライン、ブラックホークタウン、パールハーバー
等々。

5月の日誌へ


戻る