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7月


7月30日(水)

一応完成したけど、一度捨てることにした。小説なら第一稿ってトコだろう。
今まで描いてて気付いたのは「この方向性は自分には向いてないってことだ」
いわゆるオーソドクスな大友克洋以降の作画テクをいままで追求してたのだがこれではダメだと思った。今パソコンを使えば作画的にはかなり行ける、でもそれと同時に失うことも多々、厄介なのは作画の追及は楽しいことだ、簡単に作品の体裁を保てる、見栄えがよくなれば内容もよくなると、でもそれは勘違い
努力と作品の出来は別だということにやっと実感できた。
努力の方向性を見極める力、力の配分のコントロール、それをできるだけ冷静に熱くなるのは動力とはなるけど、それが足を引っ張る可能性は多々ある。
今後はもっと単純かつクールな作品を作る。
とりあえず8月からはバイトしながら描く予定。

BR2を観た。
観ようかどうか迷ったけど、怖いものみたさ(ネット上の評価のバラバラっぷりに)もあり観た。
個人的に予想してたのは深作版もののけ姫かな?ってこと、「この世には善も悪もない混沌だ」みたいな。その意味では予想どうりかなぁって気がする。

実は見終わった後はこの作品のダメなとこをつらつらと書いてここをこうすればいいみたいなことを描こうかなぁって思ったけど、2ちゃんねる観てたらだいたい思ったことを描いてあったからいいかなぁって思った。
物語技術論でいうといろんなものを詰め込みすぎて味がわかんなくなった鍋みたいなもんだと思う。実際自分の描いてたマンガもそんな感じになったからよくわかる。創作者、とくにおたく系の人ってアイデアは売るほどあるからそれをいかに詰め込むかでなく、いかに捨てるかが鍵になる気がする。
今回だったら、教師のRIKIとキタノシオリ、あとはせいぜい七原秋也をZガンダムのシャアみたいな扱い(大状況の主役で物語上では脇役)で置いて、ワイルド7との対決をもっと描くべきだと思う。
というか一番の批判はBR(バトルロワイアル)の世界でこれやらんでもいいじゃんってことだよなぁ、この世界観をダシに説教するなって感じ
(ボーリングフォーコロンバインを観たときの印象と少し似てるかも)
個人的に監督のお説教が出てくる作品は嫌いじゃないけど、作品の世界観とリンクしない説教はちょっと違うと思う。
(その見極めは個人的な好き嫌いしかないのかもしれないけど)

とまぁこの辺の批判は他でも出てるから(ネット上ではだけど、これと踊る大捜査線の批評って何故か雑誌では少ない気がする唯一ロッキンオンジャパンが踊る大捜査線2の批判を書いてた)
あんまり無かった批判を、
それは前も書いたけど戦争がイニシエーションというか自分探し(もっというと居場所探し)の道具にされてることだ、本来そういうものが奪われるのが戦争なのに、戦争こそ、彼らにとって居場所なのではないか。そう考えててしまう、というかそういう描き方してると思う。
戦時下だからクラスは一つになるし感動的な友情もある、愛する人にも告白できるし、大儀のために死ねるカタルシスもある、戦争ってドラマチックだなぁってつい思ってしまう。
実は一番反発を感じたのはこの学校の生徒達なんだよなぁ、変に仲良くてベタベタした友情とか恋愛とか、そういうのの描き方が気持ち悪いというか頭悪いなぁと思った、ステロタイプの学園ドラマって感じで、ああいう友情とか仲間意識に一番同調圧力を感じる、そこに突っ込みを入れるのが本来キタノシオリで、前半のバカバカしい青春ドラマとか七原のお説教に冷たい視線を送るという立場をキープ続ければよかったんだけど、途中でメッキが剥がれてただのファザコン女になってしまったのが敗因の一つだと思う。
でも観てて思ったのは途中から監督がこの世界に飽きたのか突っ込み入れ始めてるのがわかるんだよな、特にRIKIの演技が、この突っ込みがもっと、もっと生きれば別のものになったのかもしれないと思った。

戦争映画の一番の敵はナルシズムである。
そう観てて思った。熱い思い入れとかあると、どんどんダメになる。
BR2に限らず戦争映画って役者個人との付き合いが多くなるから、変な愛情もっちゃうんだろうなぁ、できるだけかっこいい死にざまを用意してやろうみたいな
その意味ではアニメとかマンガの方が戦争の残酷さ(無駄死っぷり観)を描くのに適してると思う。戦争映画にはある種の冷たさ、非人情さが必要だと思う。じゃないとドラマチックな舞台として描いてしまう、この間の戦争でもそうだけど、もっと滑稽でバカバカしさがあるんだよな、戦争ってそんなバカバカしい戦争で簡単に人が死んじゃうからより来るものがあるんであって、痛快英雄譚としての物語も悲劇だけを強調した物語も戦争を描くにあたっての本質を取り逃がしてる気がする個人的に俺が戦争映画で評価するのはフルメタルジャケットとサウスパークの映画版だけだ。

とまぁ文句たらたら書いてるけど、文句言わせる力があるのも事実なんだろうなぁその意味では力がある作品だと思う、その方向性は認めないけど。 

補、冒頭のマスコミがバスを囲むシーンは面白かったなぁ、あれをもっと発展させて実況中継とかあって、それを観る視聴者とか出せばいいのになぁとか思った。
トゥルーマンショーみたいだけど、
あと首輪のタッグ制度を生かすんなら、あの生徒達のリーダー格の奴を愛国少年(慎太郎って奴がいい)にして、クラスの和を乱すのかぁとか言ってできあがる同調圧力で嫌々戦争するみたいな、入れ子構造をつくればなぁとか思った。
物事を対立で描くと(善悪とか大人VS子供とか)どうも本質からズレる気がする。
あるのはもっと身も蓋もない上下の階層って気がする。
7月14日(月)

作画少し遅れ気味か、あと絵のクオリティが上がってるので古い絵が使えない
ここにUPしてるものも書き直したいくらいだ。
パソコンで描くと使いまわしが効くと思ってたけど、今は無理、絵が違いすぎるからだ。

ケイゾクを見直した

例の12歳の少年の事件が起きてから、どうにも自分の中の殺伐とした気分に火がついた、ニュースを見てると政治家が市中引き回しにしろと言ったとか、先生が屋上から突き落とすぞと言ったとかのニュースが出てる、コメンテーターの意見もややヒステリックなものが多かった、1997年の神戸の事件の時と較べると暴力的な意見が多かった気がする。こういう事件は人間の中の暴力性に火をつける効果がある気がする。(夏というのも関係ある気がする)
何か親の責任とか心の問題がどうって意見が多いけど、もっと身体的な問題のような気がする、でなければ、そういう衝動をどうコントロールするかの問題。
今ってよくも悪くもそういう暴力的衝動や性欲が無いことにされてる気がする、特に中学生くらいの性に目覚めたてのコが一番バランスが悪い(表面的にまったくないことにされてるのにコンビ二とかにいけば具体的なヌードとかが溢れてる、)
いっそのこと人間はそういう暴力的衝動を持ってて危険なんだってことを教育として教えたほうがいいのではないかと思った。
暴力に関する教育って絶対必要な気がした
(余談だけど、親のせいにする人って、もし子供に「僕小さい男の子を見るとムラムラしていたずらしたくなるんだ、どうすればいいかなぁママ」って言われたらどうするべきだと思ってるのだろうか?厳しく叱るのか精神科につれてくのか?どんなことを言ったとしても満足のいく回答なんて出せないと思う。)

でケイゾクを観たんだけど、この冷たさがいいなぁ、最近の堤作品って小ネタが多くなりすぎたのかなぁと思った、観てて無駄が前々ない、必要最小限のパーツだけで出来てるって気がする、エピソードもだけど、主人公の柴田淳の行動が徹底して分析的に試験問題を解くみたいにトリックを解いていく、その非人情っぷりがゾクゾクする、それに真山徹の狂った見も蓋もない説教で観てる側がこの上なく不快にされ番組はプツッて終わる、この突き放し方が素晴らしい。
不快の快楽というかイヤな気分の気持ち悪さというか、そういうものを感じる。
最初にビデオで見た時は後半の暴走が面白かったけど、今見ると前半の後味の悪い話の方がいいな、一話1エピソードだから見やすいし、いかに視聴者にイヤな気分にするかに命かけてる。面白いなぁと思うのはこのドラマって依頼人と犯人と被害者がほとんど同じなんだよなぁ。「金田一少年の事件簿」の時は犯人こそが実は最大の被害者ってオチが多かった気がするけど、それをより意識的に展開してる気がする、もっというとミステリーというジャンルに対する批評というか

例えば柴田淳は事件を解くことはできてもその犯人の内面を解決することはできない、むしろ神経を逆立てさせる、そこで犯人の自分語りが始まる、
謎解き→犯人の自分語り→逮捕がミステリーのパターンで金田一の場合は逮捕の代わりに犯人の自殺ってオチが多くて結果的に犯人が殺人するのもしょうがないかなぁって気分にさせて終わってたけど
(これ実は既存のミステリーのパターンだと思う、ミステリーで死ぬのはだいたい嫌な奴で犯人は追い込まれたいい奴、さすがに今は減ったけど)ケイゾクは犯人の自分語りの後に真山の見も蓋もない説教が入る、この一点に置いて他のミステリーとは違う領域に突入できたのだと思う。

真山は何故説教できるのか?それがそのまま後半のエピソードに繋がるのだが真山もまた妹を殺された被害者だ。被害者こそ犯人だったというケイゾクのパターンでいえば真山もまた犯人というオチになり柴田達に逮捕されるのか。
この真山が悪か否かという揺さぶりが(観てる間はホントわかんない最初に真山と話てたルポライターが殺されるのだがそのシーンの描きかたもすごく揺さぶる)
最初から一貫してて関心の持続に繋がる。
この描き方なら朝倉達は犯人でなくて実は妹を殺したのは真山だったというオチでもありえたかもって思わせる。
この揺さぶりと混乱がホントに楽しかった、その意味でケイゾクは真山の物語といえるかもしれない。

この作品は堤幸彦さんが初めて植田博樹プロデューサーと組んだ作品だが植田プロデューサーと組んだ作品は他の作品と較べてある種の作家性というか重さがあると思う。
ケイゾクに関して言うとあの後半の警察社会の描きかたはやはり植田さん(ある種の組織社会をわかってる人)だからだと思う、組織とか社会といった目に見える部分以外の世界の奥行きの有無がはっきり出る気がする。
惜しいのはその後のスペシャル、映画版と進むにつれその部分がやや薄っぺらくなっていくことだ(スペシャル版のマスコミ批判は自己批判としても安易だし映画になると観念的になりすぎる、その意味で映画版は惜しい結果だと思う、あと1時間という枠がケイゾクの面白さの本質って気がする2時間だと小ネタが多くなりすぎる)世間的に評価されたのはその観念的な部分みたいだが(特集の雑誌を読んだ印象、唯一植田さんと大月俊倫さんの対談での大月さんの意見がその部分を指摘してた気がする)社会的な部分が追及された時のケイゾクがどうなったのだろうと時々思う。

長くなりすぎたので要点をまとめるならケイゾクは
その冷たさとミステリーに対するある種の批評性と社会性において優れた作品だと言える。ただしその人気の素となったのはその充実した小ネタと観念性においてだけど

補 小ネタ 映像センス 冷たさは堤幸彦パート
   社会性 観念性(エヴァっぽさ)は植田博樹パートと言える
あと殺された妹の復讐ってモチーフは佐藤友哉氏のフリッカー式を思わせる、順番は逆だけど、植田プロデュース作品には難病と妹っていう極めておたく的なモチーフのビューティフルライフがある(妹ってのは渡部篤郎の役から見てだけど) 結構その手のおたく的なモチーフを使う人だ。 

堤幸彦作品については改めてまとめる予定でこれはその第一歩だ。

STAND UP2話

もっと殺伐とした作品が見たい気分が今は大きい、ケイゾクのギャグが生きるのは背景に殺伐としたものがあるからで、そういう状況で言う不謹慎さがそのままその面白さになってる、その暗い部分抜きのギャグははっきり言って点数は低い
思うにギャグは質でなくタイミングと状況が面白さの鍵なのだと思う。
この作品に関してはとりあえず鈴木杏と釈由美子がどうなるかだけが楽しみかなぁ、堤さんはもう一回暗いのやるべきだと思う。

あびゅうきょ 晴れた日に絶望が見えるを読んだ。

何か殺伐とした絶望的な作品が読みたくて買ったけど、やや期待はずれ
マンガの絵ってタレントで言えば外見と同じだと思うけど、その意味で言うと、この人の絵は最高級の美形アイドルだ。魚眼レンズの歪み方まで完璧だ。
この異常な絵のうまさがこういうダメ人間の話をやる際にはマイナスに働いてる気がした。前描いた、かっこいいタレントが童貞役やってるような違和感がある。
お前もっとモテるだろうみたいな。

例えば花倫変さんの作品なんかその変がすごく伝わる、ある種の拙さがある方が来る。ダメ人間っていってもこんなにうまい絵かけるんならダメじゃないじゃんと思う。
直接関係ないかもしれないけど、ジャニーズタレントのお笑い番組が一時期急に増えたけど、その時すごく嫌な気分になった、なんというか、領域を侵されたって感じか、カッコイイ人はちゃんとカッコイイ役でいてくれよ、お笑いは俺達ぶさいく君の武器なんだ、かってに使うなみたいな
今ネットを見るとおたくについてサブカル系の雑誌や学者が語ることにものすごい反発意見があるけど(映画秘宝がCUTをいつも批判するのに似てる)あれってそういうことだと思う。おたく表現はもてない俺達が産み出した恨みの産物だ、使えるからって上前だけさらってくんじゃないって本家の人は思ってるのだろう。
正直その種のルサンチマンはなんだかなぁと思うことがあるけど、その閉じたルサンチマンこそが表現の要だと思う。
その意味でこのこの作品からは言葉としてはあるけど、それが真に迫るものとしてはつたわんなかった気がする、そもそも主人公の30代おたくのダメ人間に黒いフードをかぶせちゃう時点でおしゃれなものに毒抜きされてると思う。基本的にはガロ系の人なんだろう。それこそ鬼頭莫宏の絵とかだったらすごい痛い話だった気がする。影男も本当のおっさんで。
追記、この人のホームページはすごく面白かった。

7月10日(木)

作画のサンプル作り、ちょっとテンション落ちる。
暑いのもあるけど、さすがにルゥーティーン化したっていうか、漫画に関しては一区切りついたなぁ、あとは少しずつ質を上げるしかないみたいな、
そうなると、文章が恋しくなる、もう一回思考が批評の世界に戻るかもしれない
とりあえず日誌に書いた堤幸彦作品に関する文を一つにまとめようかなぁとか考えてる。何となくケイゾクも観たいし。

ガタカ、トゥルーマンショーを観た。

今、橋本治さんの「天使のウインク」という評論を読んでて、その終わりにガタカについて書かれたものがあり、そこではじめてこの2作品がアンドリュー・二コルという人が関わってるんだと知った(ガタカは監督、トゥルーマンショーは脚本、製作)たまたまBSで2日続けてやってたので観たけど、すごい興味深いとこがいくつかある、どちらもストーリーにセオリーがあるんだけど、例えばガタカなら不条理な階級社会だし、トゥルーマンショーなら管理社会モノって感じだ、でも両方とも微妙にズレてる、まずセオリー通リなのは主人公、いわゆるこの理不尽な社会から何とか抜け出そうとするという例のタイプ、マトリックスならネオの位置にくる、普通に観るなら客は彼に感情移入して楽しむのだが、どっちも彼には感情移入できない(俺だけだろうか?)例えばガタカなら主人公より、彼の弟や彼にDNAを提供する車椅子の元水泳選手の方に共感する、例えるなら人間の価値は学歴じゃないっていって高卒で一流会社で出世してく男が主人公なら、弟や車椅子の男は高学歴の大卒で鳴り物入りで会社に入ったけど、それと能力は別だよって残酷に宣言されるような悲しきエリートだ。
例えば「サラリーマン金太郎」や「踊る大捜査線」ならちゃんと主人公に感情移入できる、あれも会社社会という理不尽な管理社会に異分子たる主人公が入っていく話だが、いわゆるエリートの側には人の心がわかんないスットコドッコイに設定されててそれに金ちゃんがバカヤローっていってドラマを作るんだけど、この作品そっち側を悪に描いてないんだよね、すごい普通の人間に描いてる、ラストで上司にバレそうになるんだけど、彼も悪人には描かれてない、むしろ共感してしまう。何というか抑圧が機能してないのだ。
(学園モノに例えるとわかるかもしれない、主人公は転校生の番長、気は優しくて力持ち、対する先生や生徒会長(メガネとかかけてて)がいかにも学歴社会のエリートって感じで主人公を抑圧しようとする、この手の作品で先生や生徒会長に共感する話って普通ない、先生を主人公にするならGTOみたいな変則的なやり方になってしまう、いわゆる管理社会に対する野生児みたいな)
あと普通の話ならその遺伝子偏重社会に対するアンチの目線が入る気がするんだけどそれもない、だから見終わったあとすごい変な印象だ。面白いとかつまんないというより?って感じだ。

トゥルーマンショーは前に一度見てるんだけど、その時も?な気分になったけど、今回観てその?な気分の正体が少しわかった気がする。少しドラゴンヘッド評に書いてあるけど、当時はファイトクラブやマトリックス、12モンキーズ、あるいは押井守作品にあるような、ニセモノの虚構社会から現実に帰ろうって感じの例の作品かと思った。概ねは=なんだけど、この作品が他の作品と違うのは管理者の側から描いてるんだよね。マトリックスでいうとネオじゃなくてコンピューターの側から世界を見てるんだ。そんなことありえないだろう不通。
(押井守さんのうる星やつら2 ビューティフルドリーマーの無邪鬼は少し近いかもしれない)これが狙ってやったのか結果的にこうなったのかわかんないけど、観た印象としてはそれがそうとう変なものになってる。
この作品は人工の街が主人公のために存在しててその動向を街中にある5000台のカメラで追う形になってるんだけど、その映像は全世界の視聴者に配信されてて、プロデューサーやディレクターが指示を出してたりしてて、どっちかというとそっちをメインに撮ってるような気がしてくる。
普通こういう管理社会モノは管理する側の姿をほとんど描かない、描いてももっと悪に描くんだけど、この作品はディレクターの男がすごくいい奴もしくは切ない奴に見える。彼はこの社会に絶望していて理想の楽園であるあの街を作り上げた。
そこから出て行けばトゥルーマンが苦労するのはわかるから何とか守ろうとする。まぁ過保護な父親みたいなものだ。(血は繋がってないが露骨に父であり神だ、しかも紛らわしいことに役者の父親をトゥルーマンに与えて感動の再会を演出したりする、あの距離感は何かすごく変だ、お茶の水博士がアトムの父親のロボットを作ったのと似てる、自分が父親になればいいのに)
あとはずせないのは視聴者の目線だ、テレビの前には何人ものトゥルーマンのファンがいて彼に感情移入して応援したりする、ただ彼らはえらく勝手だ、この世界から出て行くということはこの番組の世界観そのものの否定だ、それをあっさり応援する、だから彼らが実はトゥルーマンを抑圧する側(これは我々視聴者も含めて)にいるという事実が隠蔽(あるいは否認)されてしまう。それも無自覚に、
悲しいかな、この世界を作ったディレクターと視聴者の思惑はズレているのだ。
だからあの投げやりなラストなのだろう。正直、両作品とも大好きというほどではないけど、何かひっかかった。

ウォーターボーイズ
男の子のもっさい度はSTAND UPより上やっぱデブが一人いることは重要

ひと夏のパパへ
今期のドラマのダークホース、演出が800とか撮ってた人
浜マイクほどスカしてない、ほどよいセンスの良さがいい、椎名林檎の木綿のハンカチーフを使うセンスとでもいおうか。
何となく思うのは昔TBS系列でやってたエンディングテーマに城ノ内ミサの曲がかかる、ちょっと貧乏くさいドラマの臭いを感じる。上戸彩の役どころがそう、ひとりぼっちになった女の子がヤクザな父親(飲み屋系の胡散臭い仕事をしてる、下町でヤクザと借金が絡むような)とケンカしながら仲良くなるタイプの話。
確かダウンタウンの浜ちゃんが出てたドラマ(前田亜季がかわいかった記憶あり)を最後にやってなかった気がするけど、それをうまい具合に復活させてくれた気がする。桜井幸子と上戸彩という新旧高校教師ヒロインの共演も面白い(のは俺だけか?桜井幸子は少しとぼけた味が加わっていい、繭の頃の重くて切ない感じもいいけど、あれは期間限定だもんなぁ)、とりあえず観れる作品だ。
あとは「高原にいらっしゃい」もいい、今期は豊作、こっちの気分の問題だろうか

7月6日(日)

日記型の構成は一回ネームを書いたのだがイマイチなので挫折、
面白いけど、今描きたいものには会わない気がする。非日常の世界を描くための日常としてギャルゲーに定着した日めくりカレンダー形式だけど、日記にしちゃうと一から書かないといけなくなるし、ある種のクールさが必要になる、そしてこれが描かれてる時期も考慮しないといけなくなる
。というわけで、没、でも新しい構成案としてサンドイッチ形式を思いつく
というか意識化した。時間のサンドイッチ、現在→過去→現在→未来と
こんな感じで進めたい。

「ぼくの魔法使い」終了

今期はコレと「動物のお医者さんが抜群によかった。「動物のお医者さん」は一番うまくいった漫画原作って気がする。今までのテレビ朝日のドラマはつい感動路線(音楽が特に)にいっていしまい、大げさで肩に力が入りすぎて、恥ずかしくなってしまうのだが、(一般に名作と言われた「南くんの恋人」や「イグアナの娘」ですらそうなってしまう)、この作品は元々体温が低い面白さの演出をちゃんとドラマ化している、あとはこのドラマ、まったくもってどうでもいいエピソードばっか(笑)だ
例えばチョビという犬が出てくるが別に名犬ではないし、主人公もドラマチックなものを一切引き受けてない、ラストでちょっとその公式(チョビが行方不明になって探すという泣きに逃げたと見せかけた)が崩れかけたけど、見事に戻ってきた。
あとは1時間1エピソードの枷を取り払ったのはスゴイ小さな一歩だが大きな革命だ。この形式、定着するのではないだろうか。

「僕の魔法使い」は俺は宮籐さんの作品が好きだから点が甘くなるが、一般的に観ると粗が多かったかなぁって気がする。最後まで笑えて楽しいのだけど、終わってみて思うのは、「これ何の話だよ!!」と思ってしまった。まずいのは頭をぶつけると外見がひっくりかえる症状の問題が解決してないことだ。本当はラスト一話前ノ同じ症状の人間が集まる話を突きつめるべきだったのでは?って気がする、もしくはラストの事務所が乗っ取られる話を前後編に分けて共同体の解散と再構成の話をキチンとやるべきでは?と見ながら思った。
ただこの話自体のテーマである(と思う)夫婦愛にはどっちの話も関係ない(10話は少しあるかな?)というか、みったんとるみたんの関係が極度に安定した揺るぎないものだったから、物語としての揺さぶりがないんだよなぁ、
この変はわりと宮籐さんの味であると同時に弱点なのかもしれない、みんな仲良くなってしまい対立がうやむやになってしまう。例えば木更津キャッツアイのぶっさんとバンビの関係とか山口さんや猫田はもっと悪役として立たないとおかしいとか
思うし、その辺池袋ウエストゲートパークはちゃんと対立の緊張感を最後まで引っ張ってた。この人はもうそれを味にしてるし、作品に漂う楽しい感じが最大の魅力なので文句はないのだが(この「僕の魔法使い」もお笑いバラエティーとしては文句はない)テーマを描くドラマを今後描くのならこの辺がこの人の課題になるのではと思った。でもホントはこんな堅苦しい見方しちゃいけないんだろうなぁ、ただ楽しかったって方が正しいかもしれない
だからこれは俺が自分のために書いてると思って欲しい。
物語にテーマが必要とはいわないがテーマが一本通ってるドラマはやっぱり見ごたえがあるし印象が散漫にならない、作家にはテーマから逃げる人とテーマがある人がいるが(テーマを避けることがテーマの人も中にはいる)
宮籐さんはテーマをもって作品に入る人だと思う、池袋なら「ストリート」とか「若者」だろうし木更津〜なら「死」、GOなら差別、ピンポンならスポコン、それを時に茶化し迂回し、近づいたり離れたりしながらテーマに近づいてく。本人の感覚でダサくならないようにして(若者を描くならあえてダサいものを入れたりして)
そのテーマとの距離のとり方がそのまま作品の良し悪しになってると思う。
その中で一番うまくいったのが木更津キャッツアイでこの作品はどこを切っても死がついて回る。ギャグも死にまつわるものが多い、逆に言うと断固として揺るがないテーマがあるからギャグをぶつけられる。このぶつかり合いがドラマだと思う。
さて「僕の魔法使い」のテーマは何だったのだろう、一応は愛なのだと思う、この作品の登場人物はみんなカップルだ(田辺と井川遥や蟹社長と西めぐみあるいは西めぐみと田町さん)毎回出るゲストもカップルの話が多い(家族や親子というのも含めて)それらのパターンをいくつか用意して愛について考えたかったのかもしれない、そのためにあえて異常に愛し合ってるバカップルを出して現代人である我々にカウンターをくらわす。実際一話はそういう構成でうまく言ってた気がする
だから最後はその愛という概念そのものを否定するような人間をみったんとるみたんにぶつけるべきだったんではないだろうかと思う。
田町と西さんは多分そういう役割だったと思う。その意味での悪役の不在が最後に分散した印象になった原因かなぁと思う。
ただそっちがうまくいかなくなった代わりに便利屋と地域共同体とのつながりというテーマが最後になって出た気がする、前に街の魅力が乏しいと感想に書いたけど、もうちょっと早くそっちを掘り下げておけばなぁと思った。
なんか愚痴っぽくなったけど、バラエティとしては申し分ない出来だった、これにテーマが描けてりゃなおいいって話だ、これは贅沢な注文なのだろうか?

STAND UPを観た

堤幸彦さん演出の連続ドラマ、訳すと「勃起」だろうか
今書籍界ではホントか嘘か童貞ブームでたしかにもてない男以降、伊集院光&みうらじゅんのD・T宣言、あと「日本の童貞」なんて新書も出てる。
そのブーム(笑)にのった童貞高校生4人の話だ。
見る前に不安だったのは主演の二ノ宮和也も山下智久もあと高校教師でホストやってた人も、名前だけ聞くとどう考えてもヤリチン野郎で童貞のイメージがない
むしろウォーターボーイズに出てる山田孝之とかの方がもっさくてそれっぽい。
そこで童貞のリアリティ(あるのかそんなの)が出ないでわないかと不安になった
例えば浜崎あゆみでも優香でも小池栄子でもいいけど、そういう女の子を使っていけてない処女の物語を作ったら、女の人は嘘つけって思うだろう。
その辺が不安だったけどドラマを観た印象ではみんなもっさい感じに仕上がってて特に二宮和也が素晴らしかった。
あと鈴木杏が昔お姫さまみたいにかわいくて今ダサい女の子の役をやってた。けどこれが素晴らしい、いかのもいそうだ。ちょっと悲しいくらい、ちょっと面白かったのは図書室でSEXしたのがわかって退学になるカップルが彼らの何倍もだっさい感じで、女の方がすごいデブなのだ。モテと外見は関係ないという笑えて冷酷な現実を突きつけてるので、その辺はクリアになってる。
多分今後の展開としては彼らは何らかの形で(例えば先生役の釈由美子と)あっさり童貞を捨ててしまうのではないだろうか?それでそのあっさり具合にこんなんでいいのかよと逆に凹んでもっと大切なものはあるはずだ!みたいな展開になるのではないかなぁと思う。一話のラストにその兆候は出てるし、とりあえずは自分の中では痛いけど楽しい作品だ。

補、童貞ルサンチマンがモテアイテムとして吸収されることの危機感
(でもこれは危機感なのか?っていうユルイ問題)
でもこれを観た同じ境遇の高校生童貞のモテない男の子(それこそガンダムのポスター貼ってるようなコ)はどう観るのだろうか?
(何か他人事みたく言ってるけど、俺もキモチそっち側の人間だと思ってるよ)
多分描かれてること自体には嘘はない、いきなり幼馴染との同居もヒロインがダサくなってるってトコで恥ずかしくない
だから多分その当事者達が腹を立てるとすれば何でジャニーズなの?っていうはじめの問題だろう。何かうまく言えないけど、この偽童貞め!みたいな感じか?
(偽童貞って単語はすごいなぁ)お前らイケメンに俺のキモチがわかるか!みたいな、何つうかルサンチマンがある人間ってその気持ちをわかってほしいって気持ちとそう簡単にわかってたまるかと突っぱねる気持ちと両方あるんだよね。
多分女の子はこのドラマOKだと思う、美少年なのに童貞カワイイ!私がいろいろ教えてあげるみたいな、これは逆を考えればわかる、
と描いててわかったのはお前らモテるために童貞装うな!って気分になるんじゃないだろうか、例えばどう見てもモテモテのビジュアル系のイケメンが筋肉少女隊が昔好きでしたって言ってそんな感じの歌を歌ってる時の違和感か。
お前にオーケンのルサンチマンがわかるか?みたいな。
もしかしたらネガティブなものまでモテアイテムとして使われる時代がすぐそこまで来てるのかもしれない。
(書いてて9割型被害者意識なんだろうなぁって思うけど、あえて突き進む、そっちの方が面白いし、一番ダメなのは簡単に癒されることだ、作家としては)

さらに補

例えば上に書いてる童貞を「おたく」って単語に代えると今の状況のヌルイ危機感がよくわかると思う。
ネガティブなものが一生付きまとうのは本人にはキツイけど、下手にモテアイテムにされるのはヤだなぁと思う。何だろお前ら美少年ならおたくでも童貞でも何でもいいんだろうってトコに行き着くのかなぁ
ルサンチマンを消してくれる人とルサンチマンを共有してくれる人、どっちを人は求めるのだろうか。う〜ん人生のテーマかもしれない。

7月1日(火)

ネーム構想中、プロットの構成というかリズムは出来た、話の骨組みはできてる。あとは肉付け、日記形式でいくためいろいろ日記本を読んでるのだが、ついに当たりに出会った。アンネの日記、あまりにど真ん中で今読んでるけど、13〜15歳の女の子(若干頭いい赤毛のアンタイプ)の内面ってこれだよなぁと思った。
キティという架空の読み手に送る手紙という形式で親のこととか趣味とか男の子のこととか性の話題に混ざって、戦争のことが当たり前に入ってくる世界はノンフィクションじゃなければそうとうシュール、少し最終兵器彼女を思い出した。
今の読者からは泣きのためのツールみたいな位置にある最終兵器彼女もあの年代日本なら昭和一桁生まれの人からみるとリアルなのかも知れない。
それこそ深作欽二監督がバトルロワイヤルをリアルなものとして受け取ったみたいに、そう考える、最近の簡単に戦争を持ち出す作品に俺が違和感を持つのも考えすぎなのかなぁとか思った、あるのは質だけで、リアリティってのはその程度に簡単に転倒するものかも?
最近あるホームページで文学がブンガクになって邦画がホウガになってって感じで最近の作品を薄っぺらだという文脈で昔の作品も読んでない癖に簡単に感動するな!古典を読めって感じの(ブンガク愛好家)批判を書いてるのを見たけど、文体の格調は別にして基本的に特に日本の文学って書いてることに変化ないんじゃないか?とか思った、川端康成とか美少女モノばっかだし、太宰治の作品なんてそのままギャルゲーにできる気がする、一回純文学をギャルゲーに(アニメ絵で)してみればいいのではないだろか?
ただそのホムペがギャルゲー批判で主人公に自分の名前をつけたらお終いだろって書いてて、それは納得、あとマルチエンディング、この二つが願望充足マシーンとしてのゲームと他のジャンルの違いだと思う、そしてそこが最後に作家性のよりどころとなるのだろうな。とか思った。

>恋愛寫眞を観た

「愛なんていらねぇよ夏」の堤幸彦監督と植田博樹プロデューサーによる恋愛映画、正直最初はダメかなぁ〜って思ってあぁ堤幸彦の時代は終わったかなぁと不安になった。もっというと広末涼子が好きじゃない人にはヒロインの静流が魅力的じゃないなぁって思った。もっというとうっとうしい、松田龍平もいじいじしてて今どきのブンガク(な男の子で)なんで堤作品でこんなキャラみないとイカンの?とか思った、で、そう思うとテンポとかギャグもイマイチのれなくて、居心地がホントに悪い、唯一脇の女の子の個性的な顔がいいとは思ったけど(あとで西山繭子だって気付いた)あとはいろいろ俺ならこうするなぁとか考えてた。
恋愛映画ってある種の引いた眼が必要な気がする、よっぽどエピソードに自信があるならいいけど、基本はこんなに盛り上がってる俺達ってバカバカって目線がないとこっちが醒める、村上春樹がうまいなぁと思うのはこのクールさだ、もしくは徹底的にコメディにする(猟奇的な彼女とか)
もしかしたら恋愛映画って片思いが成就するまでを描くものなのかな?と思った
もしその先(くっついた後)を描くならコメディにしかならない、特に日本では
ところが舞台がニューヨークに移ってからつまり静流との回想シーンが終わっていわゆる主人公の静流さがしになってから俄然面白くなる。
(もしかしたらシリアスな恋愛の舞台として日本は不釣合いなのかもしれない)
まず舞台としてニューヨークが冷たくていい、ビルがお墓みたいで、話と直接には関係ないグランドゼロ跡地も嫌味でない、もともと堤さんはロケを多用する人だけど、これがうまくいった気がする、あと静流さがし=静流の謎を解くという構造になることで観やすくなる。堤さんはミステリー系のドラマを撮ることでブレイクしたけどそのノウハウが生きた気がする、今までのドラマならマイナスだったラスボスとの対決もうまく締める効果になってる、(ただちょっと唐突かなとも思った、俺としては主人公とその犯人が静流について会話するシーンがあればよかったと思う)
犯人も主人公も静流の才能に嫉妬することで人生が狂う、多分二人とも静流を愛してたと同時に憎んでたんだと見ていて思った、
そうやって才能と存在感ゆえに周りに人間を無自覚に狂わす人間それが静流なんだと観ていて思った。多分広末涼子にそういう要素があったのではないか?
もし自分がやるなら、はじめから静流の存在をブラックボックスにして(できれば顔も見せないケイゾクの雅ちゃんみたいに)周りの証言だけで静流の人間像を作る
みんなそれぞれに見てるとこが違うから食い違ってでもみんな同じくらい憎んでて好きで何らかの形で人生を狂わされてる。もちろん無自覚に
そんな究極の悪女としてのヒロインにするなぁと思った。
(ちょっと岡崎京子のチワワちゃんと東野圭吾の白夜行が入ってる、広末で白夜行っていいと思うけどなぁ秘密もやったし)

その意味でラストの静流と主人公の再会?のシーンはクドい(というか喋りすぎ)と思ったけどその後のオチも含めて(読めるけど)そこはいいなと思った。
観る前は堤さんだからごった煮になるんだろうけど、恋愛だけにすりゃいいのにとか思ってたけど、出てきたものを観たら恋愛以外のトコが(ギャグはイマイチかなぁゲイのカシアスの台詞でキムタクならあげちゃうってとこはユーサクにすりゃいいのにとか思ってた、マヨヌードルとかも滑ってたし、何か広末を壊せなかったって気がする中谷美紀の時はめちゃめちゃダサいこととか加味してそれが味にうまくなったのに、多分遠慮したんだろうなぁ)面白かった気がする。
とりあえず関心は持続
STAND UPもはじまるし予習にピカンチでも観ような。
(恋愛映画でうまいのは北野武監督だと思う、あの徹底的に引いた目線が恥ずかしくならない、あっ最近のは知らない)

ねじまき鳥クロニクル1巻を読んだ

う〜んまだ序章かな、なんか延々と昔話ばっか聞いてる気がした、綿谷ノボルと何とかメイって子がいいなぁと思ったくらいかな、キャラはみんな立ってる。

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