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8月


8月24日(月)

今MTV系の番組でタトゥーのライブがやってて見入ってしまったんだけど、ちょっとすごかった。
まず歌いながら観客席の後ろから入ってきて会場に上がると2番目に出した曲(ファンじゃないので曲名わかんないです。すみません)を歌うんだけど、そこにバックダンサー
というかほとんど映画のエキストラみたいな女子高生軍団がいっぱい入ってきて踊る踊る、そして曲が進めば脱ぐ脱ぐ脱ぐ!(下着までだけど)さながら会場は集団ストリップショーでその外タレ女子高生軍団はペアで手繋いでちゅーしてたりしてて、女売ってます度全開だった。
もうこういうの出てきたらかなわんですよ。マジに、
と同時にこれやったら打ち止めじゃないの?とか思った。

昔中森明夫さんのオシャレ泥棒という小説があって、それのラストが追い詰められたオシャレ泥棒(女3人組の怪盗、名前の通りオシャレなものを盗む泥棒)がビルから飛び降りるとその下に彼女のファン(オシャレ泥棒のコスプレをしている)がたくさんいてその3人は女の子たちに紛れ込んで、姿が見えなくなって、追っていた刑事が「彼女を逮捕しようと思ったら世界中の女の子を逮捕しないといけないな」みたいなことを言って(だいぶ前に読んだから、うろおぼえ)物語は閉じるんだけど、それはほんと美しい理想の終わり方だった。
多分この終わり方のルーツは自分の知る限りでは
白土三平の忍者武芸帳影丸伝で
ラストで農民達のリーダーである影丸が処刑になった後、彼の部下達が影丸の存在を引き継いで(変装して)影丸として戦っていくという終わり方(細かいニュアンスは違うと思う)だ、つまり個人としてのカリスマが消滅することで民衆一人一人にその意思が引き継がれ、そのカリスマはその戦いの象徴となるということの象徴的な終わらせ方なのだが、こういう終わり方が産み出された背景には権力に反乱するカリスマが権力に勝った時、その権力に交代し、結局同じ道を辿るという悲劇を回避したいという極めて左翼的な思想から来てるんだと思う。

英雄は死にことで完成し反乱の象徴となり民衆一人一人の心に生き続ける。(なかには権力の一極化を防ぐため殺されてしまうカリスマもいる、というかそっちの方が多いと思う、芸能人が人気絶頂の時点で急にバッシングに会うというのもその構造だ。) そういう寓意を2作目のCDでタトゥーは表現してしまったのだと思う。それは最後の手なのだ。

いわゆる超能力ものの物語もその構図を取り込んだもの多々ある、はじめは孤独な戦いを続ける主人公がラスト近く同じ境遇の仲間がいることを知り団結していき、やがては大軍団になる。マンガではデビルマンがそうだし、桂正和さんのウイングマンのラスト近くでウイングマン軍団を組み最後の敵に挑む、この作品自体は何の思い入れもないけど、あのシーンは好きだ。

あのライブではその高揚感が表現されてた。
まるで女の子はみんなタトゥーなんだよと言ってるみたいに。余談だけど、これは1年くらい前の妄想したモーニング娘。のラストだ。多分最後のコンサートか何かで誰かが
「女の子はみんなモーニング娘。だよ」って感じのことを言って終わる、これだぁって思ったけど、このシーンはしばらく訪れそうにないなぁ。
補、なんかタトゥー解散するみたいな言い方だなぁ、でもこれで自分の中の評価は変わった、例のドタキャン騒動は、それ自体が営業の一つに見えて、世間の反応と別の意味でいや嫌だったけど、何かあのライブがよかったから良し
と思った・

8月22日(金)16時45分

いろんな意味で今気持ちの整理をしている
新しい一歩のためにけじめというか

というわけでいろんなトコを修正したり追加したり排除したりしました。細かいトコは書かないので確認してみてください。

8月22日(金)
堤幸彦作品レビューUP
空欄はちょっとずつ埋めようと思ってます。
(宮籐さんの方も埋めないと)

それにともない、いくつかの項目特に絵を排除して
もっと評論よりのサイトにしようと思います。
いまUPしてるマンガは今の自分の作品の絵柄と齟齬があるので封印したいと思います。
別に絵をUPするかはこれから考えます。
ただ意見が変わった理由とかは書こうと思います

藤子不二雄しかない!そう思った

突然何を言ってるんだと思うかもしれないがそう思ってためしに藤子不二雄論(米沢嘉博著)を読んでさらに思った。
藤子不二雄には今のマンガが捨ててきた大事なものがつまっている。そう思った。
特にF!この本を読んだ印象だとストーリーのF技法のAって感じだけど、Aがやってることはわりと生きてる気がするけど(アフタヌーンとかマニア系の雑誌に)Fのやってることってテーマをは生きてるけど、技法は古いとか稚拙とかで捨てられてるなぁ。でもこれだけわかりやすい簡潔にものごとを伝える手法ってすごいなぁと思う、マンガの古典って感じだ。
もっというと純粋にマンガってことだ、アイデアは海外のSF映画とか小説からそうとう持ってきてると思うけど、それを消化して子供でもわかるいうなマンガにしている(これはさげすんでいるのではない)
藤子不二雄にはマンガの本質がある気がした。

今考えてるには
藤子F不二雄眼でみたら世界はどう見えるかということだ、20世紀少年をFタッチで見たら池袋ウエストゲートパークをFタッチで描いたら
舞城王太郎作品をFタッチで描いたら
マトリックスをFタッチで描いたら

実は面白いくらい違和感がない(舞城は少しあるか)
今どきの少年犯罪とか主人公をのび太にすればかなり描ける気がする。
多分汎用性というか互換性が強いんだろうな。

ちょっと藤子不二雄論
よく江川達也さんがドラえもんを批判するけど
(この間に12歳の少年に事件でも、話題にしてた)

当の藤子F不二雄さん本人自体が一番ドラえもんを批判しようとしてたというか超えようとしてたのではないかと経歴を見ていて思った。
例えばキテレツ大百科なんて見方によってはドラえもん越えを目指して一部成功していると思う。
例えばキテレツって自分で道具を作るんだよなぁ
それにコロ助って弟とか子供の存在で庇護の対象でこの点だけでもドラえもんと正反対
脇の子供もドラえもんと比べると自立してるし
(ただ脇役の描写はアニメの印象の可能性がある、マンガ版は数話読んだ記憶しかないし)
元々藤子作品にある異世界からの訪問者ってモジャ公にしてもオバQにしてもトラブルをもってくる存在だ。
実はこれはドラえもんにしても同じで一見便利な道具を持ってきてるけど実はそのほとんどは(便利すぎて)役に立たないという悲劇であり喜劇だ。
見方によればドラえもんはのび太を堕落させに来た悪魔って見方すらできる。ドラえもん1人勝ちの背景には
ある意味読者が選んだとこがあるんだと思う
大衆は貪欲だ(笑)

だいぶ前だけど村上春樹のねじまき鳥クロニクルを読了した。

これで一通り村上春樹の長編は読んだかな?
全部読んで面白かったら海辺のカフカに行こうかなと思ったけど、とりあえずその必要はないかなと思った。
結局一番面白かったのはノルウェイの森だったと言ったら、通の方は笑うのだろうか?
読んでてなんだかのれないなぁと思ったのは、この人が提示する、いかにもな謎みたいのが全然興味がもてないことだ。精神分析の本を読めば簡単に絵解きできそうなつまらなさとでも言えばいいのだろうか?
特に「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」に強く感じた。
多分村上春樹を好きな人ってその謎解きに部分が好きな人とキャラとか空気感がスキな人に別れるんではないだろうか(もしくはその両方がスキな幸福な人、両方嫌いな人もいるか、その人は別の意味で幸福だけど)俺(春樹風にいうと僕か)は後者がすごく好きだった。だから読んでる時は苦にならなかったけど、
多分この人は一度徹底的に煮詰まったというか停滞してた時期がある人なんだと思う、団塊の世代の作家にはそういう人が多い(中島らもとか)ちょっと年下だと押井守さんもそう、ああいう人が作る作品はそういう時間が止まったような味がある、そのロングバケーション風味というか、長い夏休み観が心地よい。
その浸れる感じが楽しくて読んでた。あと何だかんだいってもヒロインの書き方がかわいいそれ+エロい
だからそのセールスポイントだけを抽出して謎の部分を極力弱めた(というか友人の死の理由というシンプルなとこに止めている、つまり身近な他人の内面に)「ノルウェーの森」が一番楽しめたのだと思う

 そういやドラゴンヘッドがもうすぐ公開で妻夫木聡やSAYAKAがよく番宣に出てるのを観る。
ローソンでも宣伝グッズが載っていた雑誌があった
まぁ踊る捜査線に較べるとうるさくないけど、何か違和感がある、明るいイデオン祭りってこんな感じだったのかな?まだ観てないから何ともいえないけど、やっぱあれは、マンガで毎週ちょっとずつイライラしながら読むもので映画とかでまとめて見るものではないなという気がする、まぁアイドルパニックものとして手堅くまとめてくれたらいいなぁと思ってたけど、どうやら観念的な方に突っ込んだ部分もあるらしい、う〜んしょうがないのかな?作者の望月さんは万祝でとっとと別の方に言ってるのになぁ単行本一巻も面白かった。
ふと思ったけど古谷実さんの作品って映画化されないなぁ、まぁヒミズとかはいかにもATGぽくて万人向けじゃないんだろうけど、その意味でエンターテイメントの人じゃないんだろうなぁ新連載は面白いけど。

8月18日(月)
気付いたらもう8月も後半だ。
どうも更新にムラが多い。

投稿用マンガ20ページ終了
良くも悪くも自分の中で一段落、もちろん課題は多々あるけど、それ以上に今までのやり方で描くには限界があるなと思った。
今月は少し休んで仕込みをすると同時にバイトをして体制を立て直す
マンガを描いてる間、井上夢人さんの「おかしな二人岡嶋二人盛衰記」を読んでいた。作家として必要なことがいろいろ書いてあると思う。
中にあるジョン・レノンの言葉が励まされる
「だれだって成功するんだ たっぷり時間さえかければ」これは歌詞のフレーズだろうか?
と同時に、描いてて今のマンガの問題点が見えた。マンガ読みに対するリテラシーが高すぎるのだ。自分は昔からマンガを読んでるから気付かなかったけど、昔のマンガと較べると絵の密度が上がりすぎてて奔放さが足りない気がする。
スキがないというか。しかも密度を上げる(あえていうと実写に近づけるということと=)のは努力すればできるし見栄えがよくなる。ここに罠がある。
大友克洋以後という言い方がマンガ界にはあると思うのだが、大友以降の作画の方向性でいうと、より強化して極北まで言ったドラゴンヘッドと独自の作画を作り出した松本大洋、黒田硫黄のアート系のラインの二種類だ。

今、気になるのはシンプルでいてアートに逃げてない絵だ。
ただそういう絵を描いてる人はほとんどいない(もしかしたらあずまんが大王とかそうかな)もう一度トキワ荘レベルまで作画を戻せないかなぁと個人的に考えてる
それでいてシンプルな本質を突いた普遍的な話を作る。それが自分の課題だ。
例えば「ひきこもり」や少年犯罪の話を古谷実の絵でやるのと藤子F不二雄の絵でやるのとではどっちがショックか?ある意味、健康な絵(あだち充とか)でヒドイ話をやる方が生きるのかもしれない、と思った。
アニメではその流れが本流にはならないけど出てきている。例えばサイボーグ009とか
ただ、それを描いた時、古い人と思われるとまずいんだよなぁ、何とか新しい要素も同時に入れないと
う〜ん、課題は多い。

>ド根性ガエルをよく観てる

カートゥーンネットワークで放送しているのを良く観ていたけど、作画が良すぎる。ああいう絵が描けないかなぁと思って観てた。背景も程よくディフォルメされてていい。あと時々ヘンな話の回がある。環境問題をあつかってたり、
あとは独特の下町文化、「てぇやんでぇ」の世界とでもいうべきか、乱暴に言うと東京オリンピック以前の世界観(正確な年代はわからないからこの時点で過去かもしれないけど)がここにある。
この後にくるのがドラえもんでその後がしんちゃんって感じだろうか。今ってリメイクものが流行ってるけど、これや天才バカボンは今の話に出来ないんだろうな。
今、小学生の日常に遺物が入ってくるようなドラえもん型の話は作れるのだろうか?
多分そうとうファンタジー色が強くなるんだろうな。デジモンみたく、案外「なるたる」なんてその系譜なのかもしれない。

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