12月
12月31日(火)22時
さて今年も最後で本来なら今年の漫画ベスト5とか書くべきなんだろう
けど、どうもここ最近の自分にはそういう短期の発想はなく、面白ければ
10年前でも何でもいいやって感じでリアルタイムで物事を追うものは限られててしかも限定されてる。(例えば漫画ならこの2〜3年は「なるたる」がベスト1だしアニメならサウスパークがあればいいやって感じ)
何か本当にそのジャンルで面白いものに出会えたなら、それだけを愛好して生きてけばいいじゃんと、時々思う時がある、まぁ時々浮気したくはなるけど。
最近は小沢征爾の指揮の第九を聴いている。
もっとも年末すぎたら聞かないと思うけど、それに派生して第九のテレビ番組をいくつか見て、今日もNHK教育でやってたコンサート(指揮者はもちろん違う人)を斜めに見ていた。
正直自分には第九について語る教養はほとんどないので印象論でしか語れないけど、第4楽章の詩(歓喜に寄す)の冒頭でいきなり今までの演奏を否定するんですよね、
「おお友よ、こんな音ではない!もっと快いもっと歓びに満ちた歌を歌おうではないか!」
それでそこから合唱に入るんだけど後の詩もすごい。
要するに親友や愛する人がいる人間はこの歓喜の合唱に参加できるけど、それがいない人はこの同盟から去らねばならぬって言うんだけど、これってはっきりいってファシズムだし全体主義だ。
日本人がこれを好きなのはわかる。
でも今日見てた印象でいうと実はこの詩って逆なんではないか?と思わされてしまう、壮絶な一世一代の皮肉ではないか?
なんか演奏を見てると、愛する人、親友が一人もいない君たちも今、この合唱に参加してる瞬間だけは、一つになれる、だから友よ歌おうではないか!!って言ってるみたいだ、何か、そういう詩に変えて歌ってみたい
(そんな満ち足りたやつに音楽なんて必要ないし)
書いてて、ふと思ったのはモーニング娘。の「ここにいるぜぇ」のみんなロンリボーイズアンドガール、ロンリーボーイアンドガール〜♪ってとこ、なるほどあそこにはそんな意味が(笑)
まぁ最後にモーニング娘。に繋がるとはご愛嬌として、今年の更新はこれで最後です。
このホームページは今年の6月からスタートしてますが、いろんな個人運営のサイトが消えてく理由がよくわかりました(笑)
よっぽど強いモチベーションと明確な方向性がないとつらくなるばかりです。このホームページも始めは物語と批評の二本立てで行こうと思ってましたがどんどん辛くなってどっちつかずになってしまったような気がします。
ただ、その分自分の目指す方向性、したいことが明確になった気がします
だから来年はここを使い念願のネットによる「物語」展開を追及していきたいと思います。
明日明後日はバイトが休みなので今考えてる批評系の考えの総棚卸しをしたいと思います。
それでは良いお年を
12月29日(日)4時
「ミニモ二 じゃムービー おかしな大冒険」を観た「でごじゃる」
実写とアニメとCG(正確には3DCGアニメだけど)の融合に唄も入る(大盛りだ〜♪)
ミュージカル仕立て「ららららら〜」、おまけに出演者と役者が同人物という、主観的に観ればミニモニ主演のアイドル映画という枠組みにおさまり、ファン以外の人が観てもしょうがない代物なのだが「だがだが?」、客観的に見るととても無茶をしている大変実験的な娯楽エンターテイメント作品。「ワハハハハ♪」
監督はヒグチしんじ氏「おっきーい」で言わずと知れた平成ガメラシリーズの特技監督の人、正直こんなにちゃんと人間を演出できると思わなかったけど「びっくり〜」、よく考えたらエヴァのアスカ初登場の回やナデイアの島編の監督もしてたので、こういう女の子がコミカルに暴れまわる作品は得意中の得意なのかもしれない「かもしれにゃい」、それにしてもこの路線を日本でできる人がこんなトコにいたなんて
これなら「なら奈良?」日本版ブルースブラザーズも夢でないかも「すご〜い♪」
(それぞれのキャラがすごく生き生きしていてミニモニのツボを抑えてる、そうとう研究したかファンかのどちらかだと思う)「感心感心♪」
「次いってみよ〜♪」
ストーリーはミニモニカフェのお菓子のお城がナカジェリーナ29世に乗っ取られてお店中のお菓子が石に変えられてしまい、それと同時に魔法でちっちゃくされてしまったミニモニと高橋愛が(余談だけどヒグチ監督は南くんの恋人のCGもスペシャルアドバイザーかなんかで参加してるからそのあたりの蓄積もうまくいってるのだと思う)が城に乗り込むという話「どっカーン!!」
こっからアニメパートになるんだけど、これがとにかく出来がいい、3DCGアニメのひとつの頂点ではないか?と思う、面白いのはボスキャラのナカジェリーナ29世はファイナルファンタジーの映画版みたいなりアルSGで作られてて「デカ〜い」こっちも恐ろしく出来はいい、こっちがしっかり出来てるから、ディフォルメされたミニモニキャラ達を見てもこれしか描けないんでなく、あえてこのキャラで表現してるんだと納得できる、と同時にCGアニメの可能性はこっちなんだよ「どっちだぁ?」というリアル批判にもなってて面白い。
「いぇ〜い」
そうやって考えると絵柄もそのキャラを引き立たせる要素として使いこなされてるのがうまいなぁと思う。「わぁ〜O♪」
あと触れずにいられないのは高橋愛のエロい衣装!!「いや〜ん」
いや別にインリンとかと比べるとたいしたことないですよ「デスネデスネデスネデスネ」でもグッときますぁねぇ、しかも、この人だけ丸い感じのミニモニの中でスタイルがスラっとしてて体のラインがわかるからドキッとさせられる。「ズル〜い」子供の中に本物がいちゃマズいよ〜って感じでみちゃいかんものを見た気にさせてくれる、これを狙っての登用なら大成功だ、「アリガトー♪」
作中でもあの衣装でしっぽをロープにして降りてきたり、カリオストロの城よろしく壁をよじ登ったり「ルパァ〜ン」唄を歌ったり大活躍(途中で冷蔵と仲良くなるきっかけが福井弁というムリヤリキャラに合わせた展開もまぁ許そォ↓)
この人は素より作りこんだほうが面白くなる人だなぁと思った。「そォーか↓」
あと微妙に現実のミニモニの展開とリンクしたラストとかもホロっときたり
「ホラ!泣かないで、夕日があんなに綺麗じゃないか!!」
併映の「仔犬ダンの物語」が300円くらいならこっちは1000円でのこりはモーニング娘。の新曲のミュージッククリップを見に行ったんだと考えれば納得のお値段だ。「どーですかお客さん!!」
(仔犬〜のほうはそういうものだと割り切れば楽しめる出来、何か小学校の頃道徳の時間に見たドラマみたいだったけど、どうもモーニング娘。関連のドラマは泣きに走りやすくていけない、というかプロデュサーのつんくがそっちをつい求めるんだよなぁ、個人的にはナンセンスな方に突き抜けてほしいけど、案外みんなが求めてるのはそういう部分なのかなぁ、この部分を捨てたらマニアックな方に行き過ぎるのかもしれない)「そうだね〜」
まぁ不満があるとすれば「ェ〜」アクションの部分が全部アニメになってしまったことくらいか、といってもそこが出来がいいから楽しめたんんだけど
(アニメと実写が交互にでると実写がいかに無駄な部分が多いかわかる)
いつかは実写にミニモニをまんま3DCGに融合させた上で更に違和感がないものが観てみたいなぁと贅沢にも思う。「味噌汁のみたい♪」
12月22日(日)1時
岩明均「ヘウレーカ」と安達哲「バカ姉弟」を読んだ
今出てるサイゾーの宮崎哲弥さんと宮台真司さんのM2対談で古谷実氏の
「ヒミズ」がとりあげられてて、内容以前にヒミズって今年だっけ?
と厭世の感にとらわれた。
俺が一生懸命読んでたのは去年で、たしか木更津キャッツアイのラストと同時期だったから今年の3月くらいに終わったような気がする。
単行本で読んだら結構古くなってた印象があった、
M2対談ではけっこう深読みしてたけど、ヒミズにある要素って稲中から延々と書いてた部分(女性に救われないってのは井沢と神谷の関係もそうだし、僕といっしょにもある)を最終的に笑いを排除して純化していった結果で、連載中は先行きが気になってしかたなかったけど、終わってみたら逆に狭くてわかりやすいものになってしまったかな?と思った。
松尾スズキさんが笑いが加味されたほうが悲惨さが際立つと書いていたけど、今までのギリギリのトコで寸止めにしてた方が情けなさがあってよかったんでは?ないかと思った。得に最後死んじゃうってのはまとまりが良過ぎる、なんか悲劇という居場所(負のナルシズムとでもいおうか)を与えてて、別の意味で癒しなんでは?と思った。
(ただ単行本のラストで私は住田は死んでないと思ってる、あの後ひょっこり立ち上がるんだと妄想している)
そもそも今の時代ヒミズを受け入れる市場がちゃんと出来上がってて物議をかもし出す力が結果的になかったような気がしてならない、
その意味でバブル崩壊前夜に恐ろしく暗い「さくらの唄」を描いた、描いてしまった安達哲はすごいなぁと思う、当時の高校生の俺にしてみれば、明らかに嫌がらせだ、まぁ今の鬱屈した中高生にしてみればヒミズの方がリアルなんだろうなぁ、特に親父の描写の違いが興味深い、
一度比較したら面白いと思う、個人的には悲劇的な状況にハマレない感じがある分「さくらの唄」のほうが悲惨な気もするが、
多分今の殺伐とした時代状況なんて安達哲にしてみれば、とっくに「さくらの唄」前後で描ききってたんだろう、だから今更、絶望を安達哲さんは描かない、ではどんな作品を描いてるのか?それが「バカ姉弟」だ
前編カラーのそれもCGとかじゃなく手描きだ、にじみがいい味をだしてる
内容はバカ姉弟と彼らを見守る市井の人々との交流を描いた、ゆかい漫画とでもいうのか?、「さくらの唄」の頃から考えると遠くまで来たなぁとも思うけど、本人にしてみればそんなに代わらないのかもしれない、座敷童子みたいな二人に誰もが好意をついよせてしまう(別に彼彼女らは何もしてくれないのに)のが微笑ましい。
正直評論には向かない作品だ、だからあまり話題になってない、ただ幸せな気分になれるユートピア漫画だから語りにくい部分もあるのだろう、
でもこういうものを描く気持ちは(得に安達哲が描く気持ち)わかる気がする、もう一度「さくらの唄」みたいのを描いて欲しい気もするけど、一方でいつまでもバカ姉弟書き続けて欲しい気もする。
ヘウレーカ 作・岩明均
岩明氏の代表作といえば何といっても「寄生獣」であまりマニアでない人からすると、その後何してたの?ってくらい作品数がすくなく地味な活動だったが、前作の「雪の峠・剣の舞」(正確にはその前の七夕の国にもあったけど)から歴史モノを描いていて、このヘウレーカはローマ帝国の時代(レクターじゃないハンニバルやボケたアルキメデスが出てくる)を舞台にしている。といってもこの人は歴史に興味があるというより、範囲を限定してドラマを行動人類学的に展開したいのであってその帰結としての歴史モノなのだと思う。
よく連載漫画は範囲が拡大していく傾向にあり。それと同時にテーマが拡散して単なるキャラクターショーになってしまう傾向があるが、寄生獣がその轍を踏まずに住んだのは作者が最初に用意した設定(寄生獣と主人公の新一の半径5メートルの世界、もっというと本来全世界に出現していてもおかしくない寄生獣を日本にしか出さなかったことだ)を頑なに守ったことだ。又寄生獣が他のモンスターものと一線を画すのは何といっても9巻であっさり自衛隊に殲滅されてしまうとこだ、あのあっけなさはすごく覚えてる
ものすごくクールに「モンスターなんて、いてもこんなもんでしょ」って見せられた気がした。だからあの時点でモンスター侵略ものとしての寄生獣は終わって主人公の新一とミギーのドラマにならざる終えなくなる。
ただあの自衛隊VS寄生獣IN市役所のトコで作者は自分の書きたいことを掴んだんじゃないだろうか?
つまり限定された地形での集団対集団の戦い、個の物語でなく群集劇
(ヘウレーカでは一応ダミッポスという主人公がいるけどあくまで狂言回しにすぎない)そしてそれが行われる時代背景(寄生獣だと現代が舞台なのでこの部分が強調されなかったけど)
つまりこの作品って
いつ(時代)
どこで(場所)
誰と誰が(登場人物)
何をして(行動)
どうなった(結論)
の5W1H(あれ?なんか足りない)がしっかり限定されてて全てが密接に絡み合ってるのだ、しかも時間軸を平気でいじれるからあっさり幕が下ろせる、そして寄生獣の頃からあった部分だけど、その乾いたスプラッターな感じとでも言う部分、平気で人を殺すし肉はえぐるし、しかもそれを当たり前のものとして描いてしまう。あの簡単にキャラを殺せる部分があるから
こんな見事な物語が描けるんだと思う。もうスキがなくて嫌になっちゃうくらい完璧な物語だと思う。
来年の手塚治虫文化賞はこれで決まりではないだろうか?
(そもそも手塚治虫自体がこういう資質をもってたんだし)
12月20日(金)22時
大幅工事中 年明けにはまとまった方向性を決めるための潜伏期間
ハルモニアを見終わった
仮に日本テレビ土曜9時枠の仕事を第一期堤幸彦の仕事だと想定するなら(まぁバラエティや映画もその前にやってるんんだけど)これはその集大成、この後より作家性の強いケイゾクへ行くのはわかる気がする。
たしか当時(98〜99ぐらい?)絶対音感という単語がブームになりかけててよく耳にしてこれもその便乗企画かな?と当時思ってたけど、そのレベルは超えてる。1話はわりと普通のドラマでこの後ラブストーリー(多分ヒロインの由希が心を取り戻すほうへ行く、ひょっとしたらヘレンケラーが着想の元かも?)へと行く、まぁ手堅い職人的な作りの作品かなぁと思ってたらその予感がガンガン崩されていった(この時点では作家性の強さはオープニングくらいにしか感じられない)特に、主人公の代わりに由希に教えようとした人間が由希と対峙することでトラウマを暴かれたり事故にあったりするとこからは、どこへ行くんだ?このドラマは?と思い、
天才チェロ奏者ルーメイ・メンドーサー(あしたのジョーのホセからか?)
のビデオを見たことでルーメイをコピーしてしまってからの展開も今までの狭い展開が一気に拡大してすごく楽しんだ。
少し残念に思ったのは主人公の東野秀行のドラマと由希のドラマがあまりリンクし切れなかったトコか?どうしても東野の側の話が唐突なつけたしのような気がする、部分部分ではたとえば弟の自殺までの過程の話、特にサッカーのシーンとラストのオセロのシーン、映像的には美しいのだが、こっちは由希のドラマを追うので精一杯で何で今更?って思ってしまう、
あっちが非日常的過ぎるからせめて東野の側は平凡な家庭にしておいた方がバランスが良かったような気もする、ただこのラスト近くの美少年の唐突な死というモチーフは後の池袋ウエストゲートパークに生かされてるなぁと連想した。(きたろうさんが刑事役で出てたり、でもすごく真面目な役で)
書いてて思ったんだけど、まともなキャラがいそうでいないんだな、このドラマ。まぁ堤さんのドラマってことを考えると仕方ないんだけど、わりと映像センスの凄みで誤魔化されてる面があるのかも。
この作品のテーマは明確にある。それはコピーとオリジナルの問題だ、この問題を掘り下げようとしたためにある種の高級感がある。
はじめルーメイの演奏方法をコピーしたため一躍スターとなる由希、周りからも受け入れられ、担当の女医師も社会に受け入れられたと喜ぶ。しかし主人公の秀行とその先生は悲しむ、それが自分の音でないからだ。
プロにとって人の真似で認められるより自分にしか出せない音を出す、これが命題だ、しかし世間はルーメイのコピーとしての由希を望み絶賛する。この断絶を描けるのは作家性の強い堤さんだからだと思う。
そしてラスト、自分の音を日本クラシック大賞の席で出す、その音はたしかに自分の音だが、わまりの審査員は(東野の先生を除き)皆困惑する。
普通の通俗な作家なら題名を使い「これぞハルモニア!!」とか審査員に言わせ大拍手の中、由希が死んでいくとかそういう作りにするだろう
(もしかしたら単に原作に忠実なだけかもしれない、現在原作は未読なのでわからない)しかし、そういう感動的な一体感は得られない、あくまで音に対する基準は相対的なものとしてこの作品は描いた。
(そもそも万人を感動させる芸術という概念自体が難しいものがある、特に「神の音」となれば理解できる人間が何人いることか、よく芸術家を主人公にしたドラマが失敗するのはその芸術家の作った作品の感動がこっちに伝わらないからだ、否それが伝わると思うこと事態がおこがましい、もし伝えようと思うなら、ガラスの仮面みたくあえて審査員に絶賛させるのが限界だと思う、でもそれすら漫画だからギリギリセーフで生身の役者がやるとやっぱり無理が出る。まぁそれを笑うという楽しみ方は有りなんだけど)
このストイックな姿勢に逆に見ている側は「俺は理解しているぞ!」という気分にさせてくれる。
さて最後に由希は心を取り戻したのか?どうも一概にそういうのは難しいなぁと見ていて思った。あの演奏にしても由希のオリジナルというより秀行の望む形を演奏したような気もする、相手が望む姿を演じた?
由希は対自した人間の鏡像として作動しているような気がした。だから秀行のしたことは自分の望む由希を作り上げたことで、それが本当の由希の姿であるとはいえないのでわないか?
由希が望んでることなんだ!といいながら結局自分のしたいこと、してあげたいことをしていたのではないのか?
このような思いが宙吊りにされてドラマは終わった気がする。
アルジャーノンに花束を
最終回前の1話を逃したので印象は変わるのかもしれないけど、正直ラストにがっかりした。元に戻ってメデタシメデタシ?
それは無理があるような気がする。あれを見ていると人間余計な自意識をもたないほうがしあわせだよって言われてる気がしてちょっと疑問に思った。私はこの話を知的障害の話と捕らえなかった。
たまたまハルは短期間の間に知性が発達したけど、その過程は天才ではない私の目から見ても理解できる、ある種の年をとる時(得に10代後半)
にたどる経緯そのものだ、いわゆる思春期の自意識過剰な時期、
だから見ていて一番ドキドキしたのは中盤の天才期のハルが回りとズレてく過程だ、そして、そこで同時にこういう人間をイノセントな存在として棚上げすることで蚊帳の外に追いやってきた(と同時に都合のいい時だけ癒しの道具としてペットのようにあるいは成長しない赤ん坊のようにかわいがる)我々の中にあるズルさを糾弾してきて、これは同時に今まで岡田恵和さんが書いてきたドラマ(イノセントな主人公に周りの人が救われるという)構造に自らメスをいれる展開なのでは?といろんな層が重なりドキドキした、
なんだかせっかく抜け出した構造に自ら戻ってしまった気がする。
そして最後は母との和解、ハルはあの母親に守られて一生生きるのか?
母が死んだらあの妹が面倒を見るのか?
なんかこれだと腑に落ちないので妄想する。もしかしてあれはハルの芝居では?知能が下がったふりをして家族を取り戻すための、そういや一瞬真面目な口調になるシーンが最終回に・・・・・
あったらいいのになぁ
エヴァンゲリオン8巻を読んだ
1000万部突破というのはエヴァにしては多いのか少ないのか?
内容はテレビ版でいうとこの19、20話のあたり、なんかキャラが面長になった気がする、テレビ版ではわかりにくかったトコがわかりやすくなってて見やすい(たとえば冬月が監禁されてる時30時間飲まず食わずの不眠不休で電撃をビリッとくらってたりとか)
あと19話におけるシンジ君のインナースペース内での母性の描写が多面的で善とも悪ともいえなかったり、仲間の残像が説得にきたり(ここはテレビ版の最終回の逆をやってるんだなぁ僕はここにいたいんだぁと外部に引き戻そうとする仲間を突っぱねるんだもん)
あと綾波との関係性がこっちの方が建設的で人間ドラマになってる、
彼女の体が赤木博士の注射で維持されてるというのは、あとの首絞めシーン以上にショックだ。
こっちのレイは自分の希薄さはかなさに自覚があるんだなぁと思った。
アニメ版はその辺に無自覚すぎて最後は天使的存在になってしまったから、どっちのレイが好きか?と問われると迷うけど、こっちのレイがどう着地するのかは気になる。
展開の遅さはイライラするけど、そのおかげで90年代の閉塞感の外に出られる作品としてうまく着地できるんではないか?と期待している。
12月14日(土)
何とWINDOWSが開けなくて、全部やり直した。
おかげでデータもだいぶ消えた。
まぁそのおかげで踏ん切りがついたこともいくつかあって、これを機に
今いろいろ改装している。ついでに自分の部屋も恐ろしく狭い、こっちも整理整頓しないと、モノよりスペースが今ほしい。
戸梶圭太短編集 トカジノフ トカジャンゴを読んだ。
宣伝の帯にトカジは短編もすごい!みたいなこと書いてあったけど、この人は長編書いても基本は短編の集合体(というかショートコントというか激安人間大集合辞典というか)なので、むしろ短編の方がこの人の味がフルに出てた気がして一気に読めた。
まぁ一本一本アイデアが秀逸でここで明かすのは惜しい気がするので触れないけど、この人の最大の強みは犯罪の起こる背景に小難しい理屈をつけるのでなく(心の闇とかの奴ね)犯人がノータリンの激安野郎だからだと見切ったとこにあるんだろうな、つい頭がいい人は物事には納得のできる理屈があって起こるもので、それが不条理なことだと、それすらも回収できるような理屈を作ろうとしてやたら注釈や引用やら難しい言葉が多いだけの読み手に伝わんない(簡単にわかんないから読み手もわかったふりをして評価したりする)表現になってくんだけど、戸梶圭太はそこをあっさりと「ようするに何も考えてないバカなんだよ」とかたずける。
ただ、そういう書き方をすると普通見下したような書き方になって後味が悪くなるものだが(一時のオタク差別みたいな)この人の書き方は悪意が笑いの方に向かってるからそれぞれの話がどんなに悲惨な結末でもサラッと流せて読後感がいい、これはテクニック(文章が一々面白いしリズムがあって音楽的だ)以上にインタビューでも言ってたけど、そういう激安人間が好きなんだと思う。あとモラリストなのかなぁと思う。
いわゆるレクター博士みたいな天才的で魅力的な悪役をこの人は書かない(今後はわからないが)どっかで悪をかっこ良く書きたくないと思ってるんだと思う。この人の場合、悪=愚かなのだ。
ただそのため作劇法として損してるなぁと思う時もある、悪が愚かで主人公側が理性的で頭がいいという構図になっちゃうので(牛乳アンタッチャブルとか闇の楽園とか)どうしても主人公側が優勢になり過ぎてしまうのだ。
だから読んでて笑えるんだけど、ドラマとしてはハマレない。
まぁ未確認家族みたいなどっちもバカな場合は完全に読者は観客になって流れを楽しめるんだけど、
今後この人が強い悪を書くか書かないかが、作家としての分かれ道かなぁとか思う、まぁドラマをい作るより笑いの方でつきぬけて欲しい気もするけど。
あとは恩田陸さんの「上と外」がやっと全巻読み終わったのと
タンポポとプッチモ二のベストアルバムをそれぞれ中古で買った。
12月6日(金)23時
| 画像FACE追加、もう顔はいいかなぁ、 今度はおばちゃんとかジジィとかがいいかも、でも美少女系も客寄せに何点か欲しいというより、俺が欲しい。そろそろまとまった展開へ向かってもいいかも、 イメージしたものをそのまま描くのと落書きは違う、でも落書きから生まれたものの方が生き生きしている その辺がジレンマ |
![]() ↑オッサンを描くのは楽しい |
ピカ☆ンチのシナリオ本を読んだ。
原案は井ノ原快彦(V6の人)作は河原雅彦氏(演劇関係の人ある雑誌で第二のクドカンってくくりをされてたけど、それはどうだろう?)
映画は堤幸彦氏が監督で嵐主演なんだけど、まだこっちでは公開してないので、先に脚本を読んだ、マンモス団地に住む5人の男の子の物語?最初は主人公の一人がDJ風にキャラを紹介していく形式でテンポがいいけど何かひっかからなくて、何日かほったらかしにしてた、けどさっきチラッと読んだら一気に読めてしまった。それぞれキャラのエピソードがいい、基本的に冴えないどこにでもある日本の風景、団地のお祭りのミスコンのゲストに河村隆一が来るって設定がサイコー、映画では何と猿岩石に変わってるらしい、この辺の微妙な芸能人の使い方のさじ加減がいい(ハンドクの浅香唯とか池袋〜の川崎麻世とか気更津の哀川翔とか、もしかかしたらこの辺のこの人たちのセンスのヒントがあるのでは?・・・いやないかな)
嵐ってなんかいいなぁバンビもいるし、ハンドクに出てた二宮和也もそうだし、カッコいいけど、エロガッパにもなれる、貴重な存在だ。
演劇系に人とジャニーズが積極的に組むことで生まれるものって最近面白いと思う、早く映画もみたい。
(正直このシナリオ本だけでは面白いけど河原さんの色がよくわからないなぁ、宮籐さんと較べると優しさより強さとかカッコよさが出てるのかなぁ?それも強引な我格あるべしみたいな?この辺は保留)
モーニング娘。の
PICTURE OF THE MORNING MUSUME。2
SINGLE M CLIPSを買った。I
WISHから「ここにいるぜぇ」までのミュージッククリップが入ってるんだけど、なんつーか厭世の感があるなぁ、わずか2年前のものがものすごい過去に思えてしまう、この回転の速さには驚嘆する。なんかいつも思うんだけどモーニング娘。のシングルってどれもこれが最後かも?って気になる、先のことまったく考えてないからこの方向性の不明な過剰なエネルギーがでるんだろうな〜
見習わなければ。個人的には小川真琴がどんどん変な顔要因になってくのが気になる、反比例するように美少女キャラのポジションにもってこうとされる高橋愛、でも高橋愛って何か全身が写るとエロいなぁ格好も問題かなぁミニモ二の曲にも参加してたけど、一人だけエロい格好だった、小悪魔って感じの、まぁあんま生かされてなかったけど
あとは氣志團のワンナイトカーニバルも買った。音楽って一番センスが早いよなぁと思った。
12月5日(木)15時
「GO」をもう一回観た
昨日テレビ東京系列の局で行定勲監督、宮籐官九郎脚本、金城一紀原作(新聞の予告にわざわざこの三つが表示されてた順番は覚えてない)の「GO」を放送していた。完全ノーカット版だそうだ。わざわざそう表記するということは何かカットしないと地上波では抗議がきかねない内容があるということか?、と邪推してしまう、こういう題材を放送するにはそれくらいかまえないといけないのかなぁと思った。
何も言わないでも完全版で放送するなんて当たり前でしょ。ってつい言いたくなる、まぁカットして放送してたら、なおいきどうってたけど、
「GO」は一回レンタルで観ている。そのときの印象で言うと、前半の疾走感あるグレートチキンレースからケンカ三昧のトコ、節々で入るオヤジとオフクロのやりとり、タクシーの運転手、ダメなおまわりさんとのやりとりとかは好きなんだけど、肝心の恋愛の部分と差別の部分(この2つは不可分)がなんかなぁと思い宮籐官九郎さんでも差別はこういう紋切り型になってしまうのかと、ちょっと(他のテレビ作品に比べ)評価が低かったのだが、今回は2度目ということと、ロックンロールミシンで良かったなぁと思った、行定監督の淡々とした恋愛描写のセンスに注目して観ると、こっちはこっちでいいなぁとちょっと逆転した、まぁ理想を言えばこの(行定パートと宮籐パート)2部分が分離せず、うまく作品内で融合してて欲しいのだけど、そう贅沢は言ってられない。
あと一回観ただけでは気付かなかった小ネタ(ヤクザのオヤジの肩に小鳥が乗ってるとか、その息子が女2人つれててさりげなくパンチラしてるとか
(ピンポンのシナリオ集によると、GOでは桜井のパンチラシーンを5〜6箇所、描いてラストは桜井のパンチラのUPで終わる、と書いたらしいが、もちろん採用されなかった(笑)作中ではパンツ見えても気にならないと書いてあったので少し惜しい。それはこの名残だろう)
桜井が椿姫が観たいというのは名前の複線だったんだなとか、そういうのに気付くのが楽しかった。
この作品は恋愛に関する物語なんだと何度も強調されるが、俺も見ている時は在日(コリアンジャパニーズと表記すべきか?)とか関係なく普遍的な男の子の話として観ていた、あのイライラしてる感じ(窪塚洋介はそういうイライラを演じさせるといいなぁ)学級会(この作品では総括)のいばった教師の作り出す抑圧された空間の息苦しい感じ、高校の休み時間に杉原のケンカで賭けをするシーンでのあのぽっかり穴が開いてる時間の感じ、この作品は原作と共に若い世代からも評価されてるらしいけど、この辺の描き方のリアルさに、その要因があるんではないだろうか?
そしてそのリアルさ、だけでなく杉原はもちろんのことパワフルなオヤジ、オフクロ(パパ、ママと呼べに爆笑)杉原の不良友達等の豊かな描写、リアルなだけなら同時期に公開された「リリィ・シュシュのすべて」にも今作品以上にあったけど、この作品はその先に行こうとしている気がして変なマイナー根性を感じず、すごく王道のメジャーなものに感じた
(キネマ旬報で川本三郎氏がこの2作品を比較し、GOの主人公達もいずれはリリィシュシュ〜の男の子たち見たく現実に押しつぶされるみたいなことを書いていて、GOを過去の男の子達へのノスタルジーとして捕らえてたけど、今の俺にはこれ逆に感じる、その意味で今の映画なのだと思う、ただちょっと気になるのは時代考証、初め金城氏の自伝的小説内容にあるので、多分70〜80年代の話と思ってたけど、お宝ガールズとかマグノリア、浅草キッドなどの最近の固有名詞、クラブっぽい場所の描写ちなみにミュージッククリップがヤクザの指きりとかの描写があってちょっとエグっと思った、があるので今の話なのか?まぁあまり気にならないと言えばそうなんだけど、何か混ざってる感じがして、その辺りがノスタルジックなものとして捕らえられた原因かもしれない)
あと、恋愛シーンも行定監督のものだと考えると悪い感じはしない、微笑ましいシーンも多くニヤけてしまう、桜井のちょっと変な感じ(ロマンチックなシーン、雪や流れ星に遭遇すると最悪と思ったり、アクション映画が好きなのにオペラが好きで育ちの良さが強調されてたり)がこの作品の恋愛シーンを恥ずかしくならない程度にいいなぁと思わせてくれる、このバランスがうまい。
一度目に見た時は何だよ!今時これかよ!と思ったホテルでの「血が汚い」の台詞も桜井の初体験のために感情が揺れてて内面が不安定になってるとこに言われて動転してることを考えれば、納得する。
当時は差別の描写が古いと思ったけど、こういう在日問題等の差別事態が古い感情を引きずっておきてるもので、今の生活に密接に関わってるものでないので(例えばネオナチ等の移民排斥運動のたぐいにはそれをする人間の中にあいつらのせいで仕事が奪われてるというリアルな(それが事実かどうかは別に本人の中で)気持ちがある)あいう形でしか現れないのではないか?と思った、もしくは杉原の親友が死んだ時のような、ふざけ半分のからかいの延長のような無自覚なものとして(もっとも無自覚が一番タチが悪い気もするが)、その意味で言うと、その後、窪塚洋介氏がある種ネオナチ的な「凶気の桜」に企画から関わり出演したのも流れとしてわかる。
だから恋愛描写も差別描写も今回は気にならなかった。
この物語の構造として好きなのは不良モノという枠から始まりながら、その外の枠に杉原が出て行こうとする所だ、杉原が初めてオヤジにボクシングを習うとこでの台詞が象徴的だけど、自分達が狭い枠の中にいて、いつのまにか押し潰されようとしている、(作中では先輩やヤクザの息子らが、その枠の中で好き勝手やっててもいずれは権力に捕まってしまうものとして描かれる、不良もまた反抗するという役割を狭い枠で演じさせられてるんだなぁと思い切なくなる)そこから抜け出し外の広い世界へ行こうとすると、教師も級友も敵として足を引っ張ってくる、また外にでても、そこも又前の場所と大して変わらず、むしろよそ者として、更に冷遇される、もちろん杉原は強いから力でねじ伏せるので、そこで嫌な感じは受けないけど、その杉原ですら、恋愛の部分で表れるそれに初めてつまずく。
初めはその恋愛と他の部分の齟齬が気になったけど、自分のことを考えるとそうだよなぁと思ってしまう、齟齬が逆にリアリティを与えてるとでも言うのだろうか?
最後に窪塚洋介の演技はやっぱいいなぁ、何かキングの頃から演技が身体的な感じがする、の作品以降、本とかガンガン読んでるみたいだけど、変に頭でっかちにならず、この身体性を保ってほしい。
追記ハルモニア2巻を観た、2話から中谷美紀演じる美希と演奏で対峙した人間が片っ端からトラウマを暴かれたり、事故にあったりとややオカルトめいた世界(ただその存在の是非は曖昧なまま、このままいってほしい)に突入して魔性の女化してからが面白い、あとこの作品ではコピーの問題も触れられてる気がする、どんなに高度な技術でもコピーはホンモノではないのか?ここに神に音たるタイトルのハルモニアが絡む、コピーの果てに神は宿るのか?その変が気になる。
12月1日(日)23時
ハンドク!!!上等
あぁ〜サウスパークを見逃した(泣)
再放送は一週間後かぁ〜トホホ・・・・
トリック劇場版を観たあとくらいから最近また堤幸彦さん関連の作品を見直してる。(一番見たいのはピカ☆ンチ何だけど、福岡ではやってない)
それで、とりあえずハンドク!!!を見た。
本放送(2001年秋)の時は裏のレッツゴー永田町の方が面白いなぁと思い、斜めに見ていて、そもそも堤さんが医者モノを撮ると(まぁブラックジャックを撮ってたりしたんだけど)思わなかったので、1,2話を見逃したせいもあり、はまれずに終わったんだけど、改めて1話から見ると、やっぱ面白いなぁ。
(あとこの時期、前作のトリックもそうなんだけど、だんだん自己模倣に近くなっているような気がして、このまま閉じたマニア向けの作家になるような気がしていた。でもそれはいらぬ懸念だったかな?と「愛なんていらねぇよ夏」とか見てると思った)
話は杉田玄百(←白ではない)記念病院ことSMHに就職したての半人前の医者ハンドク4人の成長物語というのを建前にした。医療モノ
主人公は狭間一番、通称バカイチ、このヤンキー上がり
(性格にはブクロのギャング、この設定から個人的には池袋ウエストゲートパークのマコトがそのまま大人社会に入ってきたようなものかと思った、元ヤンが先生になるGTOみたく、ヤンキーセンス、ある種本宮ひろ志的なヒーローの復権による硬直した大人社会への強行突破をテーマとする作品は個々最近増えていて個人的に面白い、これは多分オタク側が生み出したエヴァのシンジ君的な閉じた傍観者的態度へのアンチなのだろう)
の医者(視力6.0のパワーで試験に合格)がSMHで様々な患者と出会い治療する際の医療方針での院長の新堂一子(字間違ってるかも)との対立がドラマとなっている。
設定面でうまくいってるなと思ったのは主人公のバカイチ達がハンドクなので自分で患者を手術できないで院長だったり先輩の財前先生に手術を頼まないといけない所、つまり逆ブラックジャックというか、普通の医者のドラマだと主人公は天才医師とかで患者を直せるか?が山場になるんだけど、その万能性が初めから奪われてるのだ、だから山場は本来治療できない患者(病院の事情だったり犯罪者だったりで)の手術をしてくれとバカイチが説得する所になる。
ここで対立軸がものすごい明確になるのだ。これがうまいと思った
また、ここで病気を治しても患者が必ずしも幸せになるとは限らない、むしろ不幸になるのではないか?と問うような展開がこの後ラスト5分くらいでまってる。これはケイゾクが犯人を見つけて事件を解決しても被害者は幸せになれずむしろ不幸になるという展開を連想させる、この辺はもしかしたらプロデューサーの植田さんのテイストなのかも知れない。多分あの過剰な組織社会の描写も。(堤さんの作品は組む脚本家やプロデューサーによって微妙に変化する、この辺の変化も面白い)
ただ、このラスト5分のひっくり返し、後味の悪いオチはハンドクでは必ずしもうまくはいってないような気がした。例えば2話でイチバンに救われた少女が両親との海外旅行の際、列車事故で死亡したことが院長から伝えられ、どっちにせよ患者は死ぬ運命だったんだということが強調されるが、これはいくらなんでも唐突で客観的に見ればただの偶然だ。もしかしたらこの不確定な揺さぶりは今後へのひっぱりだったのかもしれないけど、この時点で少し醒めてしまう。
こういう唐突な感じが何度かある、確かに人生にはこういう唐突さがあって、だから病院もあるんだけど、フィクションにおいてはやや飛躍しすぎかなと思った。
事件を描く時、基本的には人災で何らかの理由が理屈で処理できる程度にはないといけなくて、最終的によくわからない要素として天の理が入るのならわかるけど
どうも脚本の大石静さんは話を進めるために天の理を使い過ぎる感がある、最後の地震もそうだ。ケイゾクの時も少しはあったけどあまり気にならなかった。あっちは人の動きに焦点を当ててて、最後に人の心はよくわからないという謎の部分を提示していた。
どうも、その辺の脚本のダメさが本放送で気になって、堤さんも脚本をわざと外してホカの演出で(新聞屋の中の身内の描写とか意味もなく浅香唯が出たり、レッツゴー永田町ネタ等)遊んでたのかなと当時は思った。
ただ後半の臓器移植に関するエピソードはドキドキした、まぁこれもそんなに、うまく子供同士仲良くなるか?とか、あんなにセキュリティの発達した病院に簡単に入り込めるか?とか唐突に交通事故?とか思ったけど、それでも当時話題になってた臓器移植の問題を(といっても半年以上はたってたかな?)ドラマの形で提出したのは評価できる、ある種レッツゴー永田町より現実と連動している、
でもこのエピソードが入ったため院長とイチバンの対立というドラマが最後に拡散したのかなと思った、ラストの和解も半端な感じがしたし、まぁ医療モノで極端な対立は無理かなぁ。そもそも患者を治すというてんは院長は外してないので価値観が違う以上の意味は派生しようがないし、ここで悪徳医師にすれば明確になりすぎる。
その意味で初めの意図はわからないけど結果的に外れたのかなと思った。
こう書いてると、自分が何かハンドク!!!に不満をもってるような気がしてくるけど、実はそうでもなくて、かなり気に入ってる、でもそれは本編のストーリーより、端っこでチョコチョコしてる遊びの部分が楽しかったから気にならなったような気がする。
ここまで遊ぶ人って昔はどうかしらないけど、自分が見てきた中ではあまりいなかった
特にスタッフロールの名前のあとに「!!!!」とか「上等」とかつけるヤンキーセンス、あれがまんまハンドクの世界観(つまりイチバンのヤンキーっぷりなんだけど)に連動してる気がする、あれだけ遊んでればスタッフも役者も楽しいだろうなぁ、ただ途中から見た視聴者は置いてけぼりくらうけど。
最後に役者、みんなよかった、主演の長瀬君はもちろん特にノブの二宮和也と美雪ちゃん役の堀つかさ(トリック2でも少し出てた、是非今度は主役級で)あと内山里名も今までの役より少しバカで生き生きしてた。役者次第で更に変化するのもドラマの強みだなぁと思う
追記、後はハルモニアの一話を見た。正直まだ日本テレビでやってた頃は堤さんに色は出てないのかなぁと思った。でもここでの蓄積が後の「愛なんていらねぇよ夏」
につながるのはよくわかったけど。